第95回:最高の超音速戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(完)

●ミグの罠 22対4の空中戦!!

世界最高の超音速ジェットエース、鷹の目を持つG大佐ことギオラ・イプシュタインの長編も今回で最後です。
最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(上)
最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(中)
最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(下)

Su-7/20を4機撃墜したその翌日の1973年10月20日、この日も朝からレフィディム空軍基地でアラート待機に就き、何度かスクランブル発進するも会敵は有りませんでした。
夕方16時過ぎ、スエズ運河のグレートビター湖方面へのスクランブルが掛かり、リーダーのイプシュタインとウィングマンのイドリス、そして3番機のギーヴァ、そのウィングマンのカルの4機のミラージュ5 ”ネシェル”編隊は、地上迎撃管制の指示を受け西へ飛行しました。
イプシュタインは、運河の南西方向に、北上中の2機のMiG-21を発見。落下増漕を捨て、迎撃に当たりました。MiGはネシェルを確認したのか、西方向に左旋回、逃走を始めました。4機のネシェル編隊はMiGの背後を取るよう接近し、イプシュタインはMiGの2番機をシャフリル2のIRシーカーでロックオンしました。
シャフリル2を発射した瞬間、北西方面から2機編隊十個、合計20機のMiG-21がマッシュルーム畑のように(本人がそう表現してる)上昇して来るのを発見しました。2機のMiG-21は、イスラエル空軍機をおびき寄せる囮だったのです。イプシュタインの4機編隊はエジプトの罠に陥ってしまいました。
新たなる来襲を確認しているうちに、発射したシャフリル2は囮のMiG-21に命中し、これを撃墜しました。

イプシュタインは編隊を二分し、上昇してくる20機のMiG編隊に突っ込み、ドッグファイトに持ち込みました。無謀に思えますが、彼には勝算が有りました。相手は大編隊といえども低空からの上昇で空戦エネルギーを失っていると踏んでいたからです。
イプシュタインは大編隊の先頭で率いるリーダー機に狙いを定めそれを追尾しましたが、狂ったような必死の回避機動を行うMiGに射撃のチャンスは有りませんでした。
その間、ウィングマンのイドリスは別のMiGのペアと交戦し、うち1機に対しシャフリル2を発射し、これを撃墜しました。しかしイドリスのネシェルはミサイルのスモークを吸い込んでしまったため、コンプレッサーストールを起こしてしまいます。イプシュタインはイドリスにエンジンの再起動と戦線の離脱を命じました。
3番機のギーヴァもシャフリル2でMiG-21を撃墜。4番機のカルは離脱したMiG-21を追撃し、これを機関砲で仕留め、3,4番機とも燃料切れで離脱しました。

一方イプシュタインは数分間敵のリーダー機を追尾しましたが、未だに射撃の機会が有りませんでした。
当然MiGのウィングマンがカバーにはいり、リーダーを助けんとネシェルの背後を取りますが、イプシュタインは自分が射撃出来ないのだから、それを追尾する私を射撃するのは不可能という理屈で、追撃を続行しました。
徐々に追いつめられ、逃げ場を失ったMiGのリーダー機は、高度3000ftから超低空スプリットSでイプシュタイン引き離そうとしました。イプシュタインは高度が低すぎ、自爆すると思ったため、追尾はしませんでした。
しかし、MiGは衝突寸前で土煙を上げながらリカバリーに成功。再び上昇に入りました。さすがに降下中はエンジンを絞ったのでしょう。もはやMiGに機動を行うエネルギーは残されていませんでした。
低空まで降りてきたイプシュタインはDEFA30mmのバースト射撃をMiGに浴びせました。MiGは爆発炎上し地面に激突しました。この日2機目の撃墜です。

イプシュタインに息をつく余裕はありません。先ほどから別のMiGに追尾されており、何度も機銃射撃を回避していました。ついにはK-13”AA-2アトール”を発射されましたが、ミサイルは外れ通り過ぎてゆきました。
そのMiGに反撃をするべく旋回しようとした刹那、今度は前方から接近する2機のMiG-21が至近距離でK-13を1発ずつ発射。オールアスペクト攻撃能力を持たないK-13はそのまま過ぎ去ってゆきましたが、イプシュタインは思わずコックピットの中で身をかがめて伏せました(笑)。
とは言っても体はハーネスでがっちり固められていますから、ほとんど首を下げただけなのでしょうが。

●そして誰もいなくなった。

味方のネシェルはすべて帰還しました。撃墜されたMiG-21が合計5機、数機のMiG-21は離脱し、現在この空域にはイプシュタインのネシェル単機とそれを包囲する10機のMiG-21が残っています。
絶望的状況に思えますが、イプシュタインは後に「6時方向(射撃位置)は一つしか無いため、敵の数は問題ではない。」と、まるで16機のグラマンに包囲された坂井三郎のように当時を振り返っています。しかし、10機が代わる代わるネシェルに対し絶えず攻撃を加えたため、反撃に移るチャンスが回ってきませんでした。
イプシュタインは超低空で巧みにMiGの攻撃を避け続け、辛抱強く反撃の機会を待ちました。

ある時、イプシュタインが後尾に付いたMiGを「ハイGヨーヨー機動」でオーバーシュートさせると、ようやく射撃の機会をつかみました。DEFA30mmの短い一連射を命中させ、MiGは爆発。3機目の撃墜です。
その後も超低空で右に、左にと激しく切り返しシザーズ機動でオーバーシュートを狙います。MiGを交わした後に追撃。そしてすぐに別のMiGとシザーズ。追撃。シザーズ...と、何度か繰り返した後に、再び射撃のチャンスを得て、(マッコイ爺さんから1発10ドルで買った)シャフリル2を発射しました。しかし、ロケットモーターが点火せずに、落下増漕のようにそのまま落ちてゆきました。
すぐに次のMiGに追尾されたため、再び回避機動を行いオーバーシュートさせました。イプシュタインは背後がクリアな事を確認すると、ループでネシェルを振り切ろうとするMiGのコックピットに容赦なく30mm砲弾を打ち込みました。パイロットは即死したのでしょう。MiGはそのままループを続け地面に激突し、4機目(合計14機)の撃墜を達成しました。
イプシュタインは背後にMiGが居ないことを確認すると、上昇して他のMiGを探しました。

「The skies were suddenly totally clean」 
−空は突然に完全な静寂に包まれた−


後に、イプシュタインはこう記しています。MiGは居ない、パラシュートも無い、一陣の煙すらも無い。
10分に渡る大空中戦など無かったかのように、スエズの空にはイプシュタインのネシェルを除き何も存在していませんでした。
残りの燃料も少なく、弾薬も30発しか残っていなかったため、今日はもう十分であろうと、東に針路を取り、運河を越えてレフィディム空軍基地へ帰投しました。
着陸後、イプシュタインの緊張の糸は切れ、精も根も尽き果てた彼はコックピットから出ることが出来ずに、整備員に引きずり下ろしてもらいました。イプシュタインはやれることをやったという達成感に満たされていました。

その夜、イプシュタインはレフィディムを離れ、空軍司令部に戻ります。
そしてイスラエル空軍司令官ペレド少将に抱きつかれた上、接吻を頂戴することになります。


かわいそうに。

●Ace of Ace

イプシュタインは現場勤務を志願し、再び最前線のレフィディム空軍基地に戻ってきました。
前回の死闘から四日後の1973年10月24日17時、イプシュタイン率いる4機のミラージュIII”シャハク”編隊はウィングマンのセヴァー、3番機のシャルモン、4番機のツック、全員の生涯撃墜合計数42機という強力なチームにて、グレートビター湖の西で日没までの戦闘空中哨戒に当たりました。

地上迎撃管制が別の編隊にMiGを迎撃するよう指示を与えたのを聞いたイプシュタインは、我々も迎撃に向かった方が良いかと地上に問います。迎撃管制は「残酷にも」イプシュタインの編隊はパトロールを続けろと返答しました。しかし、イプシュタインは迎撃管制の命令を無視、MiGの方角に向けて旋回。3本搭載していた増漕のうち主翼下の2本を投棄し加速しました。

遠くの空に2つの空中爆発と、3つの地上での爆発を確認したイプシュタインは、アフターバーナーを用いた最大速力をもってその方角へ向かいます。すると4機のミラージュと多数のMiGで大混戦になっているのを発見。
上空を飛行するMiG-21のペアを追尾するために上昇。高度を取ってAIM-9Dサイドワインダーを発射しました。見事に直撃弾を与えるも、ミサイルは不発。燃料漏れを確認しましたが、致命傷を与えることが出来ませんでした。時間を無駄にしてしまうことを懸念しながらも、DEFA30mmでとどめを刺すために、白い燃料のスモークをはき出すMiGにさらに接近しましたが、射程内に入る前にMiGのパイロットはベイルアウトしました。
イプシュタインはエジプト軍パイロットに「脱出してくれてありがとう」と呟きながら、近くに居た別のMiGに向けて旋回。その背後上方に遷移して急降下しながらAIM-9Dを発射。ミサイルはMiGに命中し大爆発。2機目を撃墜しました。
次の獲物を求めて周囲を捜索中、別のMiGを追尾しているミラージュを発見。しかし、そのミラージュはMiGに致命傷を与えることなく離脱してしまいました。イプシュタインが何故離脱したのかと味方のミラージュパイロットに問うと、すでにMiGのパイロットはベイルアウト済みであるからと、彼は答えました。
怪訝に思ったイプシュタインはそのMiGに接近しましたが、確かにコックピットには誰も乗っておらず、飛行機能に全く支障がないまま無人で飛んでいるのを確認しました。
そして新たなMiGを発見。ドッグファイトに入り、すぐに背後を取り機銃を発射。これを撃墜しました。この日3機目。これがイプシュタイン生涯最後の撃墜となり、合計17機撃墜を達成しました。

イプシュタインのシャハクには、まだ胴体下の増漕1本と、180発の機銃弾が残されていました。さらなる戦いを求めてMiGを探しますが、周りにはイプシュタインの”鷹の目”をもってしてもMiGの姿がありませんでした。
地上迎撃管制に新たなMiGの居場所を聞きました。

「もう何処にもMiGは居ない」

この日、4次に渡る中東戦争中最大の激戦となったヨムキプール戦争は停戦を迎え、戦争は終わりました。

●その後のギオラ・イプシュタイン

ヨムキプール戦争後、イプシュタインは軍を退役。予備役パイロットとなり、イスラエルのフラッグキャリアであるエル・アル航空に入社。20年以上旅客機のヨークを握る事となります。

1982年、軍のパイロットとしてもシャハクの退役に伴いクフィルへ機種転換。
1988年、最後の愛機となるF-16A/B”ネッツ”に機種転換。
1991年、予備役大佐に昇進。
1997年、59歳にして最後の飛行を行い、予備役を解除され”G大佐”の本名が明かされました。
2009年現在、鷹の目と呼ばれたイプシュタイン元大佐はご存命です。


●もっと知りたい人のための日本語の推薦図書

スミソニアン 現代の航空戦
「ジオラ・エプスタイン」の名で17機撃墜の事実のみ記述あり。
航空戦全体の流れを主としている本なので、氏自体の活躍は書かれていませんが、
戦略レベルの概要を知るには良書。というか、この本は必携。

世界の傑作機 ダッソー ミラージュIII
言わずとしれた世界の傑作機シリーズ。
ミラージュIIIのエースパイロットとして”G”の名で撃墜数のみ記述あり。
六日間戦争におけるミラージュIIIの交戦に詳しいのですが、イプシュタイン自体の内容はありません。

イスラエル空軍
ヨムキプール戦争における”G”の手記として9ページに渡り詳しい記述有り。
イプシュタインのヨムキプール戦争での活躍において多くを参考にさせていただきました。
独立戦争以来イスラエル空軍の異常な戦いっぷりを楽しむのに推薦。
ただ、日本語訳が???。
二番機の声が聞こえた「ミグが前にいるんです。さあ、どうしましょうか。」
私はどなった。「発射ボタンを押せ、この阿呆!」
「わあ、片翼が吹っ飛んだ」 P80-81

二番機のマヌケっぷりを再現したのか、原文にどんなことが書かれているのか不思議でなりません(笑)

ヨムキプール戦争全史
空中戦に関する記述はほとんど有りませんが、戦争全体を知るにはベスト。

ヒストリーチャンネルのイスラエル空軍の特集において、「ギオラ・エプステイン大佐」が大々的に取り上げられたようです。ニコニコ動画で日本語吹き替え版を見ることが出来ます。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6762758 
どう見ても違法アップロードなので、自己責任でどうぞ。
最初の空中戦(13分40秒〜)と、20対4の空中戦(22分〜)がCGと「エプステイン大佐」本人の証言で再現されています。
ただ、トップガン並みのアクロチームばりの編隊飛行してたり、機銃を乱射してたり、10対1の戦いで何故か超低空でなかったり、ミサイルがBiddon(落下増漕)のように落ちていったという話も後にされてますし、さらにひどいのはヨムキプール戦争最後の日における、最後の空中戦で管制官にミグは何処だと問い合わせたという話を、わざわざ10対1の交戦に持ち込んでるから、燃料が無くなって離脱したのに、MiGはどこだと聞くという矛盾が発生してしまっています。
その他いろいろ「演出の都合」が随所に見受けられます。事実を元にしたドキュメンタリーなら「絵」の重視もほどほどにして欲しいですね。

”ミラージュで飛んでいたときは楽しかったですね。
確かにF-16の高性能ぶりは大変なものですが、あの感覚を与えてくれない。”

ギオラ・エプステイン 元IDF/AF大佐
ヒストリーチャンネル 砂漠のドッグファイトより

でも、”G大佐”は最高にカッケーです。

G大佐は本当に世界一のジェットエースか に続く...。

(更新日 2009年7月13日)



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