第92回:最高の超音速戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(上)

鷹の目を持つ ”カーネル G”

複葉戦闘機のトップエースと言えば80機を撃墜した、”レッドバロン”ことマンフレート・フォン・リヒトホーヘン(正確には最初は単葉機、最後は三葉機でしたが)。
単葉レシプロ戦闘機のトップエースは、恐らく今後も破られる事の無いであろう352機撃墜の記録を持つ”ウクライナの黒い悪魔”エーリッヒ・ハルトマン。
最も多くの敵機を撃墜したエースパイロットは誰?という疑問は、少しでも戦闘機に興味を持った人ならば誰でもが一度は持つものと思います。だからこそこの二人の偉大なるエースパイロットは、多くの方が知っている超有名人でもあります。

では、ここでクエスチョンです。
超音速ジェット戦闘機乗りで、最も多くの敵機を撃墜したエースパイロットは、
一体どこの空軍の誰でしょうか?


タイトルがギオラ・イプシュタインなんだから、そいつがトップエースなのに決まってんだろ…。
と、冷ややかな答えが返って来そうですが、そのとおり。ギオラ・”ホークアイ”・イプシュタインが正解です。
リヒトホーヘンやハルトマンは知ってても、イプシュタインを知らないかった人は多いのではないでしょうか?

察しのいい人はすぐに分かると思いますが、彼はユダヤ人です。
IDF/AFことイスラエル国防軍空軍において、ミラージュIIIJ ”シャハク”及びミラージュ5 ”ネシェル”を駆り、1967年の六日間戦争から1973年のヨムキプール戦争まで、ヘリコプター1機、ジェット戦闘機を16機、合計17機撃墜しました。(全てエジプト軍)
超音速ジェット戦闘機の時代としては破格の数字です。アメリカ空軍ですら、超音速ジェット戦闘機のトップエースはF-4のWSOであったチャールズ・B・デベリーヴの6機に過ぎません(それでも偉大な記録ですが)。
イスラエル空軍は、個人への暗殺を防ぐ目的で、本人が退役するまでパイロットの名を公表しない方針を定めています。そのため、長らくの間ギオラ・イプシュタインの名は知られていませんでした。
彼の功績はイニシャル”G”のものとして報道され、日本で発売されされた多くの書籍にも、その名で記されていました。ギオラ・イプシュタインという名を知らない人でも、イスラエル空軍の”G大佐”(時期によっては中佐)なら知っているという人は少なくないと思います。

イプシュタインの”ホークアイ”という通り名は、ビジビリティが良好な場合は20マイル(38km)先の戦闘機を目視できた事に由来します。目の良いパイロットの中でもトップクラスに目が良かったのです。

なお、元の彼の姓はアヴェンと言いました。後にユダヤ人風のイプシュタインと改名したのですが、混乱を避ける為に以降もイプシュタインと呼称します。
余談ですが、イスラエルへの「帰国後」、姓を変えるユダヤ人は多かったようです。

ギオラ・イプシュタイン 撃墜スコア    

日付 敵機種 撃墜方法 搭乗機 備考
六日間戦争
1967年6月6日 Su-7 DEFA30mm シャハク 最初の空中戦
消耗戦争
1969年7月6日 MiG-17 DEFA30mm シャハク
1970年9月11日 Su-7 DEFA30mm シャハク
1970年3月25日 MiG-21 DEFA30mm シャハク
1970年3月25日 MiG-21 DEFA30mm シャハク
ヨムキプール戦争
1973年10月18日 Mi-8 DEFA30mm シャハク
1973年10月19日 Su-7 シャフリル2 ネシェル 1日2ソーティで4機(´_`;)
1973年10月19日 Su-7 DEFA30mm ネシェル 1日2ソーティで4機(´_`;)
1973年10月19日 Su-20 シャフリル2 ネシェル 1日2ソーティで4機(´_`;)
1973年10月19日 Su-20 DEFA30mm ネシェル 1日2ソーティで4機(´_`;)
1973年10月20日 MiG-21 シャフリル2 ネシェル 5倍の敵機と交戦し損害無し(((;゜Д。)))
1973年10月20日 MiG-21 DEFA30mm ネシェル 5倍の敵機と交戦し損害無し(((;゜Д。)))
1973年10月20日 MiG-21 DEFA30mm ネシェル 5倍の敵機と交戦し損害無し(((;゜Д。)))
1973年10月20日 MiG-21 DEFA30mm ネシェル 5倍の敵機と交戦し損害無し(((;゜Д。)))
1973年10月24日 MiG-21 DEFA30mm シャハク
1973年10月24日 MiG-21 AIM-9D シャハク
1973年10月24日 MiG-21 AIM-9D シャハク

えーマジ二日で8機、一週間で12機!? こんなスコアが許されるのはエースコンバットかWW2の敗戦国までだよね!
近代ジェット戦闘機の空中戦にしては、機関砲による撃墜が目立ちます。イスラエル空軍ではミサイルを信用していませんでした。特に第一世代AAMのR-530やシャフリル1といった空対空ミサイルは「機動を悪化させる死荷重」扱いされていました。超音速ジェット戦闘機と言えども、その主力武装は第一次世界大戦と同じ機関砲でした。安定した性能を発揮できるAAMは、1980年代F-15,F-16とほぼ同時期に登場したパイソン3やAIM-9Lまで待たなくてはなりません。ユーラシア大陸を挟んで反対側ではベトナム戦争をやってたとは思えません。

「機関砲はミサイルとは違う。 −条件が整っていれば、弾は必ず命中する。」

イスラエル・バハラブ 退役准将
(撃墜数12 全てシャハクによる)

最初の撃墜 

1967年6月6日、六日間戦争二日目。アラート待機にあったイプシュタインは、シャハクを駆り0415に離陸。シナイ砂漠を西に向いました。
すると4機のシャハクと交戦中の3機のSu-7フィッターを発見。うち2機のSu-7は撃墜されましたが、残る1機のSu-7はシャフリル1AAMを振り切って離脱に成功。交戦中のシャハク編隊が追いかけますが、Su-7の方がエネルギーに優れていた為、どんどん引き離されてしまいました。
それを見たイプシュタインはA/BをONにし降下加速。砂丘上空高度50ft、700kt(!!!)で追撃しました。スホーイは全速で振り切ろうと試みますが、降下加速し、遷音速で迫るイプシュタイン機を徐々に距離を詰めてゆきます。

「言う事聞かないと撃っちゃうぞ。コラ!」 (※注 IAFはそんな優しい手続きを踏んでくれません)

イプシュタインは400mまで接近し、DEFA30mm機関砲の狙いをつけ、トリガーを引きました。

「あ、あれ?弾が出ない!!」

イプシュタインはスイッチをチェックしました。アーミングスイッチがOFFになっていたのです。(お前は坂井三郎か)
スイッチをONにし、さらに200mまで接近。今度は確実に射撃。命中。30mmHE弾はスホーイの胴体を切り裂きました。イプシュタインは操縦桿を引いて離脱。スホーイの尾部は吹き飛んで消え去り、空中に静止後ひっくり返って地面に激突しました。6年後、超音速ジェット戦闘機最高のエースパイロットとなる彼にとって最初のスコアを記録しました。
しかし、イプシュタインは、その他大勢のパイロットと違い全く撃墜を喜びませんでした。撃墜した敵機の残骸をわざわざ拾いに行き、コレクションした戦闘中毒のレッドバロンとは好対照です。


ようつべに、この交戦を気合の入ったCGで再現した動画が有りました。
本人がその様子を語っています。


「訓練中スピンに入ったら、教官の方がパニックになって右だ左だの俺に叫んでうるせーの。元空挺隊員で500回もジャンプした俺にとってなんでもないのに。だから、言ってやったよ。シャラップ!って。もう余裕。ノープロブレムで回復した。」
「引き金を引いたら何もでねえの。よく考えたらアーミングスイッチ入ってなかったwww だから、スイッチを引っぱたいてやって、再度射撃した。そしたらスホーイの機首と翼以外吹っ飛んで、すっげえ小さいループして落ちてったwwwww」


英語苦手なので間違ってるかもしれませんが、大体こんな感じの事を言ってます。


次回に続く……。
最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(中)

(更新日:2009年5月28日)


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