第20回:A-1 Skyraider

スカイレーダーは何でも積めた。

A-1スカイレーダー

僕は例外は有れど基本的にに搭載量のデカイ飛行機が好きです。
P-51よりもP-38、流星よりもA-1スカイレーダー、F-15CよりもF-15E、一式陸攻よりもB-17といった具合に。

今回はその中の「最後にして最強のレシプロ攻撃機」A-1スカイレーダーについてちょこっとだけ触れてみます。

A-1の初飛行は1945年で、対日参戦を目標に設計されました。が、当年戦争が終結し、太平洋戦争での活躍の場は有りませんでした。しかし1950年朝鮮戦争では海軍の主力攻撃機として大活躍しました。現在厚木に駐留しているVFA-195 Dambustersは当時A-1を使用しており、ダム攻撃で大きな戦果をあげたことからこの名がつけられました。

この活躍から名門ダグラスの開発関係者は「スカイレーダーはキッチン(台所)以外なら何でも搭載できる」などと言ったぐらいです。そしていつの時代にもジョーク好きなのがアメリカ人です。

爆弾とキッチン台を吊り下げて実際に出撃して敵の頭上に投下したそうです。

いったい何を考えているのやら(笑)
まぁ、A-1の優秀性をあらわしてるエピソードですね。


そしてA-1最後の活躍はベトナム戦争。この第2次世界大戦からベトナム戦争の間と言うのは現在のように戦闘機が20年も現役でありつづけるなど例の無い時代で、駄作ジェット戦闘機を創っては鉄くず作ってはスクラップとめまぐるしく変わっていた時代なのですから。空軍の戦闘機だけでもF-80シューティングスターからF-110スペクター(あとでF-4CファントムIIとなる)まで30も数字が進んでいます。ベトナムから現代までの30年ではF-14からF-22とわずか8のみ、しかもこれは空軍海軍あわせての数字です。

それにも関わらず、レシプロ攻撃機として捜索&救出作戦の一翼として大活躍しました。「サンディ」は小回りの効くレシプロ単発機でありながら搭載能力は第二次世界大戦時の重爆をも上回っていたのです。

なによりも有名なのは旧世代のレシプロ攻撃機であるA-1がジェット戦闘機MiG-17を撃墜したことでしょう。高速で小回りの効かないジェットを低空に引きずり込み、巧妙なチームワークで撃墜を記録して以来、あらゆるA-1パイロットはミグに対して逃げるのみではなく立ち向かうようになったと聞きます。
さらに後にA-1はもう1機のMiG-17を撃墜しています。

そして、いつの時代にもジョークが好きなのがアメリカ人です。

爆弾と便器を吊り下げて実際に出撃して敵の頭上に投下したそうです。

A-1スカイレーダーは人類最後のレシプロ戦闘攻撃機として永久に記録に残ることでしょう。


(更新日:2001年12月6日)


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