第10回:F-117被撃墜のその後…!

ナイトホークダウン! ナイトホークダウン!

1999年、ユーゴスラビアで大規模な空爆がありました。

F-117は夜の静寂から突然の爆撃音と、独特のジェット音を鳴り響かせ、市民にも恐れられており、「不死身のヴァンパイア再来」と言われていました。近くでその音を聞いたものは、翌朝になるとビルが内部から崩壊しているのを目撃することになります。

一発必中兵器による「正確な誤爆」が大きなニュースとして世界中で報道され大きな反響を呼んだユーゴコソボ紛争。そして誤爆と並んで大きなニュースになったのが不敗神話を持つF-117ナイトホークの撃墜でした。

撃墜されたF-117の写真を発見けっこう貴重っぽいので、ぜひ見てみてください。なお、アンチNATOサイトなので空爆で犠牲になった人の死骸とかが載っていたりするので、あんまり深くは見ない方がいいかもしれません。

F-117撃墜記録には諸説があり、NATO軍内部に勤務するロシアのスパイがF-117の飛行ルートをロシアに流し、ロシアは撃墜の暁には破片を頂くという約束のもと、ユーゴ空軍にデータを流したという説を聞いた事があります(信じ難いが…)。
1999年3月27日の夜。
ユーゴ空軍は得た情報から(?)SA-3(超旧式地対空ミサイル)をもってF-117の撃墜に成功しました。F-117に相当の自信を持っていたアメリカ空軍にとってはさぞ屈辱だったことでしょう。何せSA-10グランブルならともかく、SA-3じゃぁ…。

さて、撃墜されたF-117はソッコーで回収チームが組まれて破片一つ残さずもっていかれました(ちなみに再重要な部分は自爆装置が働いて破壊されます)。当然ロシアにも主要な部分は受け渡されたので、あと10年もすればMiG-39(NATOコード:ファクトリー)としてモスクワエアショーで発表される日も近いかもしれません。当然ニックネームはナイトホークスキー。

なお、さほど重要ではない部分の破片は数奇な命運を辿ることになります。
ユーゴスラビアの首都、ベオグラードでは反戦運動として「反戦青空チェス大会」「反戦青空マージャン大会」が開かれました。
チェスやマージャンが何で平和につながるのかは分かりませんが…いや、マージャンなら平和が分かる気がしないでもないですが(分から無い人は無視していいです(^^;)。

同時に反戦国際マラソンが開かれ、多数の人たちが参加したらしいのですが、なんと、驚くことに反戦マラソンの賞品は…

撃墜したステルスの破片

素晴らしいブラックジョークですね(笑)
なお、破片はきちんと優勝者に渡されたそうです。アメリカのスパイ機関に命を狙われそう…(^^;

(更新日:2001年以前)


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