元来燻っていた火種をサッカーが炸裂させた。
普段Jリーグに興味の無い人も日本代表戦のサッカーに限り観戦する。という人は少なくないでしょう。普段愛国心が希薄な多くの人たちも、日本代表戦は愛国心を実感する数少ない機会でしょう。かくいう私もその部類に入ります。
ちょうどこの文章を執筆している翌日は独ワールド杯のアジア予選で北朝鮮戦が予定されています。明日にはどのような結果になっていえるか。この文章をサイトにUPしている頃には結果が出ていることでしょう(日本勝ちました。マンセー)。
「サッカー」という世界で最も競技人口が多いスポーツが国民の間で最大の関心ごとである国では、かの有名なイギリスのフーリガンといった興奮のあまりに暴
力・破壊行為に及ぶような、時にとんでもない事態を引き起こす場合があります。例えば1994年には南米コロンビアのディフェンダー選手は自殺点をしてし
まった試合の後、「自殺点をありがとうよ!」という言葉と供に射殺されてしまった事件がありました。
そういった事件の中で最も痛ましい出来事は…サッカーをきっかけに始まった戦争。世に言う「サッカー戦争」なるものが存在します。
1969年。翌70年に行われるワールド杯メキシコ大会の予選において、ホンジュラスとエルサルバドルは準決勝で対決しました。
第一戦は6月8日ホンジュラスの首都テグシガルパで行われ、ホンジュラスの熱心なサポーターはエルサルバドル代表チームの宿泊するホテルの周囲で徹夜で騒ぎ立て妨害するなどの行為を行い、効果は別として結果としてホームチームのホンジュラスが1-0で勝利しました。
続き翌週にはエルサルバドル首都サンサルバドルで第二戦が行われましたが、エルサルバドルのサポーターはホンジュラス代表の宿泊するホテルにおいてやはり同じように安眠を妨害する行為をおこないました。そしてやはりホームチームのエルサルバドルが3−0で勝利しました。
こういう事例はサッカーにおいて珍しくはなく日韓ワールドカップでも韓国のサポーターは対戦相手の国の宿泊地でさんざん騒ぎ立てた事例が記憶に残ります(日本国内においてこういったことが一切無かったのは誇りにすべき事です。)。
なお、この第二戦での妨害事件をきっかけにホンジュラスの政府は違法に入植していたエルサルバドル人の資産を凍結し国外退去命令を出し、当然エルサルバドルはホンジュラスの行為を激しく非難し、両国の国交は断絶という最悪の状況にまで発展してしまいました。
互いに一勝一敗で迎えた第三戦は6月27日に中立国であるメキシコの首都、メキシコシティで緊迫した中行われ、エルサルバドルが3-2で勝利し決勝へ駒を進めました。
試合中から両国のサポーター同士は死者がでるほど激突し、終了後にはついに国境地帯で発砲が始まり、翌月7月14日にはエルサルバドルはホンジュラスより
退去命令を受けていたエルサルバドル人の保護を名目にホンジュラスへ侵攻を開始。同時に空軍によるホンジュラスの航空基地への航空攻撃を開始するなど、
サッカーから始まった衝突が戦争にまで発展する極めて異例の事態になりました。
エルサルバドル空軍の保有する戦闘機はグッドイヤー社FG-1Dコルセア、ノースアメリカンF-51Dマスタングで、FG-1DはボートF4U-D1コル
セアをグッドイヤー社がライセンス生産したものであり機体は全く同じ構造を持ちます。ノースアメリカンF-51DはP-51Dマスタングが米国機体命名法
の変更により改称したもので、実態は同じ戦闘機です。
対するホンジュラス空軍は第二次世界大戦後に製造されたF4U-4及びF4U-5コルセアを装備し、特にF4U-5は水噴射時2760馬力に強化されたダ
ブルワスプエンジンを搭載し20mm機関砲4門に、ペイロードは2300kgにも達する。F4Uコルセアの最終型とも言える戦闘機でした。
開戦二日目の7月15日、両国の陸軍主力が小規模ながら交戦を開始。
この日の両軍の航空戦による戦果は…。
・ホンジュラス空軍T-28トロージャン練習機により、地上でFG-1Dコルセアを1機撃破。
・ホンジュラス空軍F4U-5コルセアにより、地上でC-47(DC-3?)スカイトレインを1機撃破。
全て機関銃による戦果。
開戦三日目の7月16日にはホンジュラスが反抗を開始。航空攻撃を主体としエルサルバドル侵攻軍の兵站施設を破壊し継戦能力に大きな損害を与えた。この日に両軍の航空同士の戦果はありません。
四日目の7月17日にはエルサルバドルのFG-1DとホンジュラスのF4U-5が空中で会敵。史上稀に見る同機種による戦闘が行われました。また、F4U-5とF-51Dの交戦も行われました。
・ホンジュラス空軍F4U-5により、F-51Dを1機撃墜
・ホンジュラス空軍F4U-5により、FG-1Dを2機撃墜。
・エルサルバドル空軍FG-1Dにより、地上でF4U-5(F4U-4説あり)を1機撃破。
・ホンジュラス空軍F4U-5により、F-51Dを地上で2機撃破。
すべて機関銃による戦果です。
17日から米州機構を仲介とした両国の停戦交渉が始まり、翌18日には両国は停戦合意に達しました。そして7月末にエルサルバドルはホンジュラスから完全に撤退したものの、完全な和解に至るまで10年を要しました。
なお、先にも述べたとおりエルサルバドルはあくまで在ホンジュラスのエルサルバドル人保護のために出兵したのであって、サッカーを直接的な理由とするのは
誤りと言えます。ただしサッカーで高まったナショナリズムを利用しホンジュラスはエルサルバドル人の強制退去を実施し、エルサルバドルはそれに対し、やは
りサッカーを利用しているわけですから、完全な無縁とはいえないでしょう。
現在でもサッカーにおいてエルサルバドルとホンジュラスの対決カードがある場合は因縁の宿敵として両国ヒートアップするようです。
当時アメリカでもA-1スカイレーダーが現役でしたし、第3世界に目を向ければウォーバーズが現役であることは決して少なくはありませんでしたが、両国1980年前後まで第二次大戦機を運用していた模様です。
撃墜・撃破一覧(不明点が多いので可能性の高いもののみ。確実、かつ全てであるとは限りません。)
日付 | 戦果を挙げた機 | 所属国 | 被撃墜・破壊機 | 所属国 | 使用兵装 | 備考 |
7月15日 | T-28トロージャン | ホンジュラス | FG-1Dコルセア | エルサルバドル | 12.7mm機関銃 | 地上撃破 |
〃 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | C-47スカイトレイン | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 地上撃破 |
7月17日 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | F-51Dマスタング | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 空中撃墜 |
〃 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | FG-1Dコルセア | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 空中撃墜 |
〃 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | FG-1Dコルセア | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 空中撃墜 |
〃 | FG-1Dコルセア | エルサルバドル | F4U-5(4?)コルセア | ホンジュラス | 12.7mm機関銃 | 地上撃破 |
〃 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | F-51Dマスタング | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 地上撃破 |
〃 | F4U-5コルセア | ホンジュラス | F-51Dマスタング | エルサルバドル | 20mm機関砲 | 地上撃破 |
1969年サッカー戦争当時の軍用機関連の主な出来事
ソビエト MiG-25フォックスバット採用決定
アメリカ F-14トムキャット試作機製造開始
ベトナム戦争北爆停止中
ちょうど飛行機のお話47回〜49回であげた二つの橋ををめぐる攻防戦が行われていたころであり、マッハ3の戦闘機が登場し、誘導爆弾すら実用化されていたご当時です。
中米ではホンジュラスとエルサルバドルは第二次世界大戦時にコルセアvsコルセアという奇妙な戦闘が行われていたことを考えると、航空戦力の近代化が如何に予算が必要で難しいかということを実感させられます。
なお、レシプロ戦闘機同士で行われた空中戦は以降現代にいたるまで一度も行われることが無く、サッカー戦争がレシプロ戦闘機同士の最後の空中戦となりました。
(更新日:2005年2月15日)
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