第72回:ボウロウ作戦 その2

戦術的大勝利は「戦略」とは無縁

今回はボウロウ作戦その1 フィッシュベッドを釣れ!の続編に当たります。

ボウロウ作戦に投入される兵力は
主力となるF-4C 14個編隊56機。
防空網制圧F-105D 6個編隊24機。
支援機として警戒機EC-121 電子戦機EB-66 空中給油機KC-135と、これら支援機を護衛するF-104Cが4個編隊16機が参加した。
F-4Cを率いる編隊長はオールズ大佐で第二次世界大戦での撃墜スコアは24.5機のエースパイロットだった。

通常のサッドの爆撃パッケージを模擬した一団は予定通り1月2日に時間差で全機が離陸し作戦が決行された。
予想されていた会敵地点を過ぎ、仮想予定爆撃地点を通過し帰路につくまでMiGの迎撃は無かったが、先頭を飛行するオールド大佐の編隊(コールサイン オールズ)の7時方向からMiG-21が雲中より出現し、奇襲攻撃を仕掛けんと急速に接近しつつあった。同時に多方向から複数のMiG-21がオールズ編 隊に接近するも、後方を飛行するフォード編隊にその機影を確認されており、即座にオールズ編隊に後方からMiGが接近中であることを警告した。

MiG-21は疑似餌に掛かった。“ドッグファイト”の始まりである。

オールド大佐(コールサイン オールズ01)は左へブレイクし、接近を一度かわすと目の前に居たMiG-21に対してAIM-7を発射した。この戦闘における最初の実弾射撃だったが命 中はせず、MiG-21は雲中に回避した。続き別のMiG-21を照準に捉える為上昇しつつ左急旋回しAIM-9を二発発射。うち一発がMiG-21に命 中し撃墜を記録した。ほぼ同時にウィングマンのオールズ02,オールズ04がそれぞれスパローとサイドワインダーで1機ずつ撃墜した。
戦闘機がF-105だと完全に思い込み奇襲を仕掛けたMiG-21のパイロットにとって、天敵であるF-4ファントムが手ぐすね引いていたのだからその驚きは想像に難くは無い。

オールズ編隊はBINGOとなったため戦線を離脱。次に続くフォード編隊、ランブラー編隊に対しMiG-21は攻撃を仕掛けてきた。
しかし、結果はフォード02がサイドワインダーで撃墜、ランブラー01がスパローで撃墜、ランブラー02がスパローで撃墜、ランブラー04がスパローで撃墜とさらに4機のMiG-21を撃墜した。
オールズ編隊による緒戦の3機撃墜とフォード及びランブラー編隊による4機の撃墜と合計7機ものMiG-21を撃墜する事に成功した。この時点での北ベトナム軍のMiG-21保有数は15機であったから、実に半数を失ったことになる。

なお、数機のF-4がMiG-21による機関砲の射撃やAA-2アトールによる照準を受けたが損害機は皆無だった。僅かにランブラー02がMiG-21の破壊片を浴びて修復可能な軽微な損傷を受けた程度であった。
ボウロウ作戦は7対0という圧倒的なキルレシオを達成した。なお、前年の66年のMiG総撃墜数は21機に満たない。

しかし、北ベトナム軍が大打撃を蒙ったその翌日1月3日、4日にもMiG-21によるヒットアンドウェイ戦術は変わることく続き、RF-4Cが偵察ミッションを達成する事なく帰還を余儀なくされていた。1月6日。小規模だがボウロウ作戦と似た囮作戦が再び実行された。
RF-4Cを模擬した密集編隊を組む2機のF-4C(密集時はレーダー上では1機に見える)に対し4機のMiG-21が迎撃を試みたが、F-4Cの2機編隊は2機のMiG-21をM61A1とAIM-7により撃墜した。
なお、F-4CはM61A1を固定武装として装備しておらず、必要に応じて同機関砲を内蔵したSUU-23/Aポッドを胴体下ステーションに搭載する。

年始のわずか四日間で9機(7機)の半数にも及ぶMiG-21を撃墜された北ベトナム軍はMiG-21の実戦投入を停止し、一時的ではあったが、ベトナムの空からMiG-21は完全に消え去った。
とは言えMiG-21の脅威が消えたわけではないが、ボウロウ作戦は大成功に終わったのだ。


〜総括〜

奇策を用いMiG-21を誘き寄せた結果、対等な“ドッグファイト”…いや、MiG側も奇襲でありF-4側も奇策だったため対等であったかどうかは無意味 な事であるかもしれませんが、煩わしいMiG-21であろうとも、同じ土俵に引きずり出せば米軍のF-4ファントムが劣ると言う事はありませんでした。 もっとも、その同じ土俵に引きずり出すという事自体が大問題であり、ボウロウ作戦のような稀有な作戦が実施された訳です。

先に記したようにボウロウ作戦と4日間後の囮作戦でアメリカ側の戦果発表であるなら9機を撃墜しました。
北ベトナム側の損害記録ではやや異なっており、ボウロウ作戦で5機を損失。後日に2機の計7機の損失と、2機ほど差異がありますが米軍にとって結果的に9 機(7機)の撃墜は戦術的大勝利であった事には違いありません。ボウロウ作戦は大成功に終わった事に異論を挟む余地は無いでしょう。


が、しかし…。


同67年4月にベトナム戦争最初の航空基地への攻撃が許可されました。

その結果26機のMiGを地上撃破

ボウロウ作戦の戦果
投入された戦闘機96機(F-4C F-105D F-104C)

発射されたミサイル数28(うち12発命中)

撃墜したMiG-21戦闘機僅か7機

そうです。最初から地上で撃破すればこんな馬鹿げた作戦を実施する必要は無かったのです。
くだらない聖域などつくらなければ、MiGによる一撃離脱、その後聖域に逃げ込むという戦術もとられることはなかったのです。

ボウロウ作戦は結果的に戦術で勝利しても、戦う前から戦略で負けていたのです。なんと馬鹿げた話なのでしょうか。

アメリカは空で地上で海で、あらゆる戦場の殆どで高いキルレシオと戦術的勝利を続けていましたが、結局最後は敗北しました。
アメリカにとってのベトナム戦争とは、こういう馬鹿げた戦術的勝利の積み重ねで負けていったのです。

(更新日:2005年10月3日)


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