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数少ない、いや唯一と言っても過言では無い純和製のジェット機T-4。
飛行教育体系に導入することにより飛行教育の近代化をはかるとともに、航空団等の訓練支援機等、補助用航空機としても使用 しております。 新遷音速翼の採用及び機体形状の洗練により、低速から高速 までの広い飛行範囲において良好な飛行特性を有しており、また、スピン訓練を 合む高度な訓練飛行にも対応できる性能を有しています。このため、飛行教育上、 初等練習機から高等練習機への移行をスムーズに行うことができます。 また、各種装備品に対する新技術の採用、点検扉の最適化及びエンジンの着脱容易化等により、すぐれた信頼性・整備性を有し、双発のエンジン、二重の油圧・操縦系統をもつ安全性に優れた機体となっております。 (以上、航空自衛隊ウェブページの写し) ブルーインパルスの愛称である「ドルフィン」の名のとおり、どこかイルカをイメージさせる、小柄で、やさしい曲線につつまれた胴体、静かで心地よさを感じるエンジン音...等、感覚的な面においても、演技飛行隊の使用機としてはとても優れている航空機です。 ブルーインパルスの各機は以下のような役割が課せられています。
2番,3番,4番機は常にリーダー機に従い編隊飛行の僚機としての飛行を主として実施します。4番機は、バーティカルキューピッド時のみ編隊を離れて「矢」を描きます。 5番,6番機はソロ飛行展示を主として実施し、2機編隊での演技を行う場合は5番機がリーダーとしての役割を担います。 また、6機のほかに、万一故障などで飛行できない機が発生した場合に備え、尾翼に数字が書かれていない予備機が用意されております。しかし、本番のエアショーにおいて予備機が飛行展示を行った事はブルーインパルスの歴史で一度もありません。 2代目使用機 超音速練習機T-2(1982 - 1995)
T-2高等練習機は日本の航空技術を結集させ三菱重工が主となり設計したわが国初の超音速機でした。1971年に初飛行し、1982年からはブルーインパルスの使用機としてT-4に代わる1995年まで運用されました。 スモークオイルをアフターバーナーの炎で引火させ、炎を吐きながら飛行するトーチングなど今では見られない演技が魅力のひとつでしたが、あまり機動性のよい機体とは言えずソロの機動飛行などはイマイチであったようです。 残念なことに私がブルーインパルスを初めて見たのは2000年ですので実際にこの目で見ることはできませんでした。 T-2高等練習機を母体としたF-1戦闘機が設計されましたが、後継機F-2の配備によりT-2とともに2005年に全機退役します。 初代使用機 戦闘機F-86F SEBAR(1960 - 1981) F-86Fセイバー戦闘機は米国ノースアメリカン社が設計したF-86シリーズの性能向上型で主に朝鮮戦争や印パ戦争で使用され高い戦果を上げた傑作戦闘機で、航空自衛隊黎明期に運用されました。 1960年のブルーインパルス発足時から1981年までの20年間以上、ブルーインパルスの顔として装備され続けられました。「ハチロク」の愛称で呼ばれる同機の高い機動性と、現在よりも規制の緩い航空法により、今では行えないようなダイナミックスな演技を実施しました。 文字通り博物館行きの過去の傑作機である本機の飛行を見ることはできませんでした。 ツイート BACK |