航空宇宙博物館 パリ ル・ブルージェ 2008年夏 その2
Musee de l'air et de l'espace (ミューゼ ド レール エ ド レスパス) - Le Bourget Paris


■その1
ルブルージェへの行き方 ・黎明期(1783 - 1914)第一次世界大戦(1914 - 1918)
■その2
戦間期 ゴールデンエイジ(1919-1939)第二次世界大戦(1939 - 1945)
その3(1946〜現在)
冷戦期のジェット研究機 実用ジェット戦闘機 屋外展示 コンコルドホール その他

■戦間期ゴールデンエイジ 1919-1939
第一次世界大戦は連合国の勝利で終わりました。フランスは世界トップの空軍を持つ戦勝国となりましたが、戦争が終わった今、その空軍を維持する意味は無く、また国土の荒廃から復興するには軍備を大幅に縮小する必要が有りました。
戦争で使われた飛行機は格安で民間に払い下げられ、戦争培われた技術は冒険飛行、旅客・貨物輸送に転用され、航空路の開拓と確立が盛んに行われるようになります。戦前は極々一部の特権階級の『玩具』であり、戦争中は『兵器』であった飛行機が、ここに来てようやく『人類の為の乗り物』に変革し、世界中が航空網で繋がれ、地図の空白地は急速に消えてゆきました。この1919年から1939年までの、いわゆる戦間期と呼ばれる時代を、航空の黄金期(ゴールデンエイジ)と呼びます。
列強諸国の間では戦争が勃発しなかったため、民間航空が技術を主導し、それが軍用機に適用されるという逆転現象が発生した特異な時代とも言えます。ブレリオ以降名実ともに世界最先端の航空先進国であったフランスでも、この時代多くの傑作民間機が誕生していますが、その差は徐々に後続に縮められ、第二次世界大戦が勃発する頃にはもはやトップとは言えなくなってしまっていました。
特に疲弊するヨーロッパを尻目に、第一次世界大戦で漁夫の利を得たアメリカや日本の猛追は凄まじいものが有りました。

え〜実を言うと、機体数はこの戦間期のエリアが一番多かったのですが、他の展示に時間を割くために駆け足でまわりました(^^;
と言う訳で、ページも多くを紹介できませんが、駆け足でまいります。

・Farman F.60 Goliath ファルマンF60 ゴリアテ 1919

ゴリアテは大戦中に爆撃機として開発されましたが、戦後旅客機に転用されました。写真の機は現存する世界で唯一のゴリアテです。翼が無いのが残念。
座席数は12。最高速度120km/h 航続距離400km 一度のフライトではフランス国外にも出られませんね。
パリ〜モロッコのカサブランカ間2050kmを18時間23分かけて結びました。


・caudron C.60 コードロンC60 1925

フランス、コードロン製の練習機。フランスのほか、フィンランド、ラトビア、ベネズエラ、スペインでも運用されました。


・Bernard 191 Oiseau Canari オワゾーカナリー 1927

こんなに大きな単発機は見たことが有りません。
フランス機として始めて北大西洋の無着陸横断に成功した飛行機です。29時間22分もの長時間フライトでした。
史上初めて密航者を運んだという、珍しい記録も持っています。


・caudron C271 Luciole コードロンC271 ルシオール 1931

700機が生産された開放コックピットの複座スポーツ機。ルシオールとは蛍の意。
95馬力 速度158km/h。戦争がはじまると、練習機としても運用されました。


・Potez 53 ポテ53 1933

見るからに速そうでカッコいい。
1933年ドイツのCoupeエアレースという大会で、2000kmの距離を6時間11分45秒、平均322.8km/hで飛行しました。


・ モラーヌソルニエMS230 1929

フランス空軍の初等練習機。フランス版赤トンボ。第二次大戦勃発時のパイロットの殆どがこの機で初等訓練を施されました。
反転したまま展示とは、なかなかユニークですね。


・Potez 43 ポテ43 1932

汎用スポーツ機。既にこのクラスの飛行機の技術は完成されつつあるようです。
パイパーやセスナの同クラス機も殆ど同じ世代でしたね。


・CAUDRON C-635 SIMOUN コードロンC-635シムーン 1934

シムーンとは高熱の砂嵐の意。
遊覧飛行、軽貨物用機。主に郵便飛行機として使用されました。写真のシムーンはエールブルーという航空会社のもので、4500万通もの手紙を輸送しました。
1935年12月30日、操縦士のサン・テグジュペリと、ナビゲーターのプレヴォはシムーンを駆り、パリから植民地ベトナムのサイゴンへの記録飛行挑戦中しました。
しかし現地時19:38にエンジンのトラブルに見舞われ、リビア上空においてサハラ砂漠に不時着してしまいました。少量のワイン、ブドウ、2個のオレンジしか無く、二人は砂漠を彷徨いました。脱水症状に陥り、幻覚・幻聴に襲われ、危険な状態でしたが、偶然通りかかったキャラバン隊に二人は救助されました。この時の経験が、『星の王子様』の執筆に繋がったといわれています。

第一次世界大戦編に続き、再び50フランの登場です。欧州・アフリカ大陸の地図が大きく描かれており、フライトの経路が記されています。(見難くて申し訳有りませんが)
パラソル翼の飛行機は何なんでしょう?

ついでにサン・テグジュペリ関連の展示を。航空郵便会社アエロポスタル社ポスター。
サン・テグジュペリはこの会社で航空郵便士として働いています。

さすがお札にった人は扱いが違う。その生涯が大きく展示されていました。最後のP-38の偵察型F-5Bが哀しい…。
帰国後に知ったのですが、彼の乗っていたF-5Bの一部が2004年に引き上げられ、ここル・ブルージェ航空宇宙博物館に展示してあったそうです。嗚呼、行く前に知っていれば見逃さなかったものを。


多分直筆のノート。酷い暗さでした。


・Morane-Saulnier MS.317 モラーヌ・ソルニエMS317 1932

原型となったMS315は、当初戦闘機として設計されましたが、途中で練習機に変更されました。
MS317は第二次大戦後の60年代にスポーツ機として再設計されたものです。


・SPAD53 スパッド53

よく分かりませんヽ(*´ー`)ノ


・Boeing ボーイング ステアマン

この機も、御馴染みになってまいりました。アメリカの赤トンボ(またそれか)。

■第二次世界大戦 1939-1945
フランスの隣国ドイツにおけるナチズムの台頭は再び欧州を大戦の渦に巻き込み、平和の時代は終わりを告げました。
延々と塹壕で睨みあっていた先の戦争とは異なり、39年9月の戦争の始まりから僅かに9ヵ月後の40年6月にはフランスはドイツに対して降伏してしまいました。ドイツがフランスに対し攻撃を仕掛けてきたのは40年5月ですから、実質的に2ヶ月持たずに敗北してしまう事になります。
最終的には米英のお陰でフランスは戦勝国の仲間入りとなりましたが、その期間中、世界一を誇ったフランスの航空産業は大きな打撃を受けてしまいます。
第二次世界大戦のエリアで展示されている飛行機の殆どが外国製であり、フランス国産機は僅かにドボアチンD520のみ。建物自体も非常に小さく、あまり数が有りません。米英の空軍博物館が多種のWW2機を保有しているのとは対照的です。

・C-47 Skytrain スカイトレイン 1935

これも何処に行っても有る。というか初めて海外エアショーに行った年から必ず見てます。さすが傑作輸送機。
中に入ることが出来たのですが、フランス人の若いのがパラシュート降下のデモンストレーションかと思えるほどの奇声をあげており、うるせーから後回しにしよう。と、思ってたら見事に忘れてました。


・Spitfire Mk.XIV スピットファイアMk16 1937

う〜ん。看板には間違いなくスピットファイアMk14と書いてあるんだけど、Mk14ってグリフォンスピットだよなあ…でもこれラジエーターは小さいし、プロペラも4翔だし、機首周りだってマーリン積んでるように見える。ひょっとしてこれMk9eの間違いでは?
なんてこった、よく見たらMk.XIV(14)じゃなくてMk.XVI(16)だった!恥ずかしい(つ∀⊂;)
てか、イギリス人が悪い。うん。そうだ。最初から14って書けば間違わなかったのに。うんうん(責任転嫁)。
Mk.16はアメリカのパッカード社製マーリンを搭載したタイプです。
塗装はイギリス空軍の亡命フランス人パイロットで結成された「イル・ド・フランス」中隊のもの。


Dewoitine D520 ドボアチンD520 1938

「フランス空軍はドイツ空軍に一方的にやられた。」というイメージは有りませんか?今すぐにそのイメージを改めてください。ヘナチョコ陸軍と違い、空軍は頑張りました。
見るからに平凡なドボアチンD520。520という数字は520km/hという意味を持ちます。しかし実際1938年10月2日に初飛行を行った試作機は最高速度が480km/hと、あまり誉められた性能ではありませんした。
主翼の下にあった2基のラジエーターを廃止して胴体下の一箇所に統合、イスパノスイザ12Yエンジンを830から910馬力に強化、可変ピッチプロペラに換装等の改造を施し、目標であった520km/hに達しました。
Bf109Eの550km/hとほぼ対等の速度性能と、より優れた機動性を持ち、仏独戦においては対偵察機・爆撃機等も含むと撃墜確実は108機、未確認は39機、それに対して損失は54と、かなり善戦しています。
対戦闘機においても対Bf109Eのキルレシオは3:4で若干劣勢ながらも対等近くに戦い、対Bf110では5:3と勝利しています。
しかし、生産開始が遅れてしまったため旧式のMS406を十分に代替する事が出来ませんでした。もう少しだけドボアチンD520が多く装備されていたら、バトル・オブ・ブリテンに影響が出るほどの出血を強いていたかも知れません。
どちらにしろ1ヶ月半で降伏してしまいましたから、大勢に影響は無いでしょうが(^^;
IFが続きますが、四半世紀前の戦争同様泥沼の持久戦になっていたとしたら、その後のスピットファイアMk5やBf109Gといった後期型とも対等に渡り合える発展型が登場していたかもしれませんね。
フランス降伏後も生産が続けられ、ブルガリア、イタリア、ルーマニア、ビシーフランス、ドイツ、それに本機を持って国外に脱出した自由フランスが運用し、戦勝後も1953年まで現役でした。


・И-153 I-153 1938

I-153はI-15bisの発展型。既に高速の金属製単葉機I-16で大成功していたにも関わらず、機動性の高い格闘戦戦闘機への懐古から誕生しました。相違点は一目瞭然。複葉機にしては少数派のギア収納機構を持っています。
上方視界確保のために上翼が切断され、胴体に接続されたガル翼を持ちます。その形状からロシア語でチャイカ(カモメ)というニックネームが付けられました。I-15=ガル翼、I-15bis=パラソル翼、I-153=ガル翼となっています。
大型の星型エンジン搭載のため異様に太い機首部に4丁の7.92mm ShKAS機関銃を集中搭載しているのも面白い特徴です。このShKASの発射速度は1800rpmを誇り、第二次大戦を通して最も発射速度の速い戦闘機搭載機関銃でした。プロペラ同調装置との兼ね合いで1625rpmに抑えられていますが、ブローニング7.7mmは1200rpm、MG17 7.92mmは1000rpm、九七式7.7mm機銃は900rpmと、ぶっちぎりに高速です(初速にやや劣りますが)。
それを4門ですから、複葉機ながら中々の高火力です。後には複葉戦闘機としては異例の20mm2門のタイプも生産されました。
このI-153は、ドイツが1941年11月にウクライナで捕獲した機体で、調査のためにル・ブルージェへと搬送され、戦後フランスが接収したものです。


・B-26G Marauder マローダー 1940

殺人機として有名なマローダー。自由フランスのロレーヌ十字が光ります。
ほぼ同世代の戦術爆撃機B-25に比べると100km/h近く高速でしたが、翼面荷重が高く、最大着陸荷重における着陸速度は当時の実用機としては最高の220km/hにも達し、離着陸事故を頻発。特に前脚が弱く、すぐに折れてしまったようです。しかし難のあった離着陸とは逆に、戦場では戦術・戦略爆撃と広い目標に対する攻撃に使用され、非常に目覚しい戦果をあげ、かつ連合国軍において最も被撃墜率の低い爆撃機でした。


・Bu-181 Bestmann ベストマン 1940

ドイツの赤ト(略)


・P-47D Thunderbolt サンダーボルト 1941

ご存知サンダーボルトの決定版。
第一次世界大戦時のフランス航空隊のアメリカ志願兵部隊ラファイエット エスカドリーユ(ラファイエット飛行中隊)のネイティブアメリカンの塗装が施されています。
第一次大戦時にはパイロットが、そして第二次大戦時にはレンドリースとして飛行機を借り受けた自由フランスのラファイエット中隊は、地中海のサルデーニャ島やコルシカ島に駐留し主にイタリア戦線での地上攻撃を担当し、戦果を上げると同時に非常に大きな被害を受けています。フランス解放後は本土へと移り、ドイツへの攻撃にも参加しています。
P-47Dは戦後も1957年まで長らく運用され、インドシナ戦争、アルジェリア戦争などのフランス植民地の独立戦争にも使用されています。
余談ですがフランス軍の一部派閥は「独立するなら、フランスがお金だして作ったインフラ全部ぶっ壊して、もとの原っぱにして返すよ!(・ω・)」と、三河一向一揆の家康のような屁理屈で道路や建物を破壊してまわりました。さすが米英と並ぶ諸悪の根源フランスはやる事が違う(勿論国内でも批難の声は大きかったようです)。
それに引き換え日本は優しいですよね。併合後の資産をそのまま残したんですから。もっとも半島の方々は独立から5年後に自分たちでぶっ壊してしまいましたが。


・Яак-3 Yak-3 1943

大戦中、ソビエト空軍に志願した自由フランスの義勇兵から成る飛行連隊『ノルマンディーニーメン』の塗装が施されています。主翼と胴体に描かれたマークのほかにスピナーにはフランスのトリコロールが描かれていますね。ちょっと見難いのですが、キャノピーのやや後方に13個の撃墜マークが施されています。
ノルマンディーニーメンの奮闘は壮絶を極めました。創立時のメンバーの内生き残ったのは僅かに5%。1943年4月に最初の戦果としてFw190を撃墜して以降、合計273機のドイツ機を撃墜しました。
ドイツ降伏後、ソビエトはノルマンディニーメンへの感謝の返礼としてフランスへ37機のYak-3を譲渡し、フランス空軍において47年まで運用されました。ル・ブルージェ航空宇宙博物館に展示されているYak-3は、そのうちの1機です。

博物館の入り口前にはノルマンディニーメンの記念碑が建立されています。


・P-51D Mustang マスタング 1940

機動は凄いし、速いし、この目で見たから認める。でも、さすがに飽きた(´ー`*)


・Fw190A-8 1941

ヨーロッパの戦闘機にしては珍しく空冷のBMW801エンジンを搭載したご存知Fw190A。
連合軍との最初の交戦では、ここル・ブルージェを離陸したFw190A-1が新型のスピットファイアMk.V(?)を3機も落とし、イギリスの心肝を寒からしめました。1942年シャルンホルストとグナイゼナウの英仏海峡突破作戦においてもル・ブルージェに駐留する機がCAPを行いました。
写真の機はノルマンディーの砂浜に不時着したものを捕獲したそうです???(仏語なので自信なし)。
Fw190といえばコマンドゲレートですよね。ミクスチャーやプロペラピッチ、過給機の切り替えをアナログコンピューターが自動調整してくれるため、交戦中に高度が変動しても、煩わしい操作をしなくて済むようになりました。


・Fi103 V1 1944 

V-1もどこ行ってもありますな。
Argus AS-014パルスジェットは300km/h以下では動作しないため、レールからカタパルトで射出されました。
よくもまあ、あの時代に巡航ミサイルなど実用化できましたね…。

WW2エリアの展示はこれで全てです。ね、少ないでしょう?


航空宇宙博物館 パリ ル・ブルージェ 2008年夏 その2
Musee de l'air et de l'espace (ミューゼ ド レール エ ド レスパス) - Le Bourget Paris

■その1
ルブルージェへの行き方 ・黎明期(1783 - 1914)第一次世界大戦(1914 - 1918)
■その2
戦間期 ゴールデンエイジ(1919-1939)第二次世界大戦(1939 - 1945)
その3(1946〜現在)
冷戦期のジェット研究機 実用ジェット戦闘機 屋外展示 コンコルドホール その他

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