イギリス空軍博物館 コスフォード 2008年夏 Royal Air Force Museume (ロイヤルエアフォースミュージアム) - Cosford ツイート ■その1 テストフライト/ウォープレーン 格納庫 ・コスフォードへの行き方 ・テストフライト ・ウォープレーン ■その2 コールドウォー/ハンガー1 格納庫 ・コールドウォー ・ハンガー1 |
ロイヤルエアフォースミュージアム、略してRAFミュージアムは決して裸婦の博物館ではありません(またそれか)。
英国空軍と、イギリスの航空史を綴る由緒正しき航空博物館で、王都ロンドンと、西イングランドのドドド田舎コスフォードの二カ所に存在します。
ロンドンは主に第二次世界大戦機を中心とした実用機がメインの博物館で、今回紹介するコスフォードは、大戦後の冷戦期を主なテーマとしています。
ただ、その区分は絶対ではなく、ロンドンにもライトニングのようなジェット戦闘機もあれば、コスフォードにも百式司偵などがあります。
ロンドンのRAFミュージアムについては、2年前に訪れた記録がありますので、そちらをご覧ください。
ロンドン、コスフォードともに非常に巨大な博物館で、どちらも日本の全ての航空博物館を足しても及ばないレベルの規模を誇りますが、コスフォードのほうが、より多くの飛行機が展示されています。
コスフォードRAFミュージアムは1棟のエントランスと、4棟の格納庫から構成されています。
・テストフライト ジェット試験機の格納庫。キモイ飛行機にうなされるのも、TSR2に惚れ惚れするのも良し。
・ウォープレーン その名の通り第二次大戦機の格納庫。ダイナやバカを楽しみましょう。なぜかジェット機も。
・コールドウォー この博物館のメイン。冷戦期の兵器展示されています。超巨大格納庫の中にバルカン・ビクター・バリアントの3Vが!
・ハンガー1 輸送機、旅客機、練習機、レシプロエンジン、ジェットエンジン、ロケットエンジン、ナチスのミサイル等々。
展示数は余裕で3桁。ミサイルやエンジンの展示が非常に充実しているので、それらを含めれば軽く200-300超えてるんじゃないでしょうか。
しかも入場料は無料!!! いいなあ、いいなあ。戦争に勝ってれば今頃は...。 と、いつもの台詞を愚痴っておきます。
今回はRIATの終了後の月曜日に訪れる予定だったのですが、肝心のRIATが前日の土砂降りで泥沼化し中止になってしまったため、1日予定を繰り上げて見学しました。
日曜日だったからか、かなりの人でにぎわっていました。偶然にもY旅行社のエアショーツアーの人たちも行き場を失ってRAFミュージアムに来ていたのには大爆笑しました。しかもその添乗員さんは、その前年モスクワエアショーでお世話になった方だったりして。(笑)
レンタカーで訪れたため、公共交通機関での行き方は分かりません。
ロンドンからは、おそらくパディントン駅からバーミンガムへ、バーミンガムからローカル線に乗り換えてコスフォード駅だと思います。コスフォード駅からは目と鼻の先です。
クリックでGoogle MAPに飛びます
私たちはホテルのあるグロスター(もちろんミーティアとかグラディエーターの工場があった場所)からM5で北上し、バーミンガムの西をかすめてM54に乗り換え、あとは3番の出口で降りました。。イギリスの高速道路は無料で、速度制限も80マイル(124km/h)と速いのですが、スピードカメラだらけなのでかっ飛ばしすぎると罰金取られるので注意! グロスターからだいたい1時間半ぐらいだったでしょうか。
この天気でエアショー中止なんですよ?ホントむかつきますよね。
高速道路M5をひたすら北上。
何の標識?これ。
M54走行中に見かけた標識。何個もありますので、見落とす事はまず無いと思います。
M54の3番出口を出てすぐのラウンドアバウトを左に曲がります。てか、すでに標識が出てますね。
これだけ案内があって迷ったら、相当のアンポンタンだよ...。
丁寧過ぎる。
途中、十字路が有りますので右折レーンに入って信号待ちしましょう。
曲がればもう目の前がRAFミュージアムです。
詳しくは公式サイトを確認してください。
http://www.rafmuseum.org.uk/cosford/
■テストフライト
イギリスと言えばキモイ飛行機!イギリスと言えば駄目な飛行機!異論は認めないッ!!
飛行機(兵器)の英国面に墜ちた、酷い試験機の数々がこの格納庫に展示されています。中には名機も有るけど...ね。
・Gloster F9/40 Meteor prototype 1943
F9/40は、グロスターE28/39でイギリス最初のジェット機の道筋を立てた後に、実用的な戦闘機の試作機として設計されました。
1943年3月に初飛行。後にミーティアとして実用化する事になります。
・Meteor F8 Prone Position 1954
うあわあああわあわあああああああ!!
OK,OK,大丈夫。ちょっと乱視になったのかと思ってビックリしただけ。
もう一度見てみよう。こんなキモイ飛行機、いくらイギリスだって作るわけがない。
:(;゙゚'ω゚'): ピクピク
ミーティア プローンポジション「伏臥位ミーティア」は、英国空軍航空医学研究所による、うつぶせで操縦することにより、Gの影響を軽減しようというコンセプトから生まれました。
「高G旋回でブラックアウトになったでござる。」
「ブラックアウトがいやなら、うつぶせになればいいじゃない。」
「それは名案でござる!」
つまりこういう事。
心臓の限界を超えて血液が下半身に滞留し、脳に送り込めなくなった際にブラックアウト(G-LOC)が発生しますから、うつぶせになってしまえば大丈夫だろう。というのが本機開発の目的です。
55時間の飛行試験が行われた結果、実際に通常の座席より耐G能力は向上し、うつぶせ飛行コンセプトは大成功に終わりました!
しかし、操縦しにくい、後ろが見えない、空間識失調になりやすい、疲れる、不快。といったデメリットは利点を上回りました。
そして何よりキモイ。軍用機において見た目は非常に重要です。近年だってJSF選定にX-32が漏れてX-35が採用されたのは、X-32があまりにも酷いブサイクだったからです。
もちろん嘘ですが。(あれ、前どっかで書いた記憶が)
マヌケにも程がある...。チェッキングシックスできるの?これ。
ミーティア プローンポジションと同時期に実用化され始めた耐Gスーツが、このコンセプトにトドメを刺しました。
ここまで極端ではありませんが、姿勢を傾けて耐G能力を増すというアイディアはF-16などにも採用されています。
・Meteor T7
ミーティアT7は復座のジェットトレーナーなのですが、本機はマーチンベイカー社が改造した射出座席のテストベッド機で、射出座席の開発に運用されました。そのため本機には後部座席にキャノピーが有りません。
近年ではゼロゼロ射出座席が当たり前となっていますが、展示されているミーティアが世界で始めて装備し、試験しました。もちろん人体実験で。
ちなみに、マーチンベイカー社はミーティアを現役で運用しています。
2006年のファンボローエアショーで展示されていました。
・Martin Vaker Ejection Seat
で、そのミーティアの周囲にぐるりと展示されているマーチンベイカーの射出座席シリーズ。
これ、絶対マーチンベイカーがスポンサーしてるでしょう。
マーチンベイカーの最初の商品はPre Mk.1で、最新型はMk.16 high speed。ユーロファイター、ラファール、F-35に搭載されています。
http://www.martin-baker.com/products/Ejection-Seats.aspx
マーチンベイカー社の公式サイト。英語が分からなくてもスペックや写真だけ見るだけでも楽しめるのでお勧めです。
軍オタ初心者の間ではエアショーで実演販売してることで知られるズヴェズダK-36ばかり有名ですが、世界一の射出座席メーカーは、60年間で75000シートを製造し、93の空軍に供給し、7283人を救ったマーチンベイカーです。
・Bristol Type 188 1962
ブリストル タイプ188 あだ名は”Flaming Pencil”。即ち「燃える鉛筆」は、高速度における空力加熱の影響を調査する研究機です。アブロ730という超音速偵察機にデータを供給する目的で製造されました。
耐熱性が最重要視されたため、機体は比重の重いステンレス鋼で構成されています。高速飛行時の熱膨張を考慮され設計されているので、常温では常に燃料漏れしていました(SR-71もそうだった)。
また、その航続時間は僅かに25分。まさに、行って超音速を出して、帰ってくるだけの飛行機。しかし、肝心のアブロ730の開発も中止されてしまったため、本機もその役割を終えています。
スポイラー。
以上のようなキケンな任務を負っていたためパイロットには「次に脱出する男」という、ステキなニックネームが付けられました
見た目もSR-71を駄目にした感じ。
双発で搭載するデハビランド ジャイロジュニアエンジンは、イギリスで設計された最初の超音速巡航用のエンジンでした。超音速巡航といっても、近年の戦闘機で言うA/Bを用いないそれとは違いますからね。Mach2以上の速度での試験が予定されていましたが、エンジンの出力不足からMach1.88どまりでした。ただ、後のTSR2やコンコルドが搭載する事になるオリンパスエンジンの開発に際し有意義な経験を得た。と、あります。
見るからにステンレス。まさにいぶし銀の魅力です。
・Fairey FD2 1954
フェアリーデルタ2は、第二次大戦後、超音速機に乗り遅れてしまったイギリスが復権を目指して設計した高速度研究機。
1954年に初飛行し、1956年には1,820km/hの世界速度記録を樹立しています。FD2の以前のレコードホルダーであったF-100Cの記録1,337km/hでしたから、483km/hも上回りました。
先端を切り落としたクリップトデルタの主翼は、そのまま本機の名称となりました。
でも、その翌年にはF-101ブードゥーがあっさりと更新しています。50年代の高速化指向は異常。もし、「金の壁」に遮られることなく高速化が進んでいたら、今頃大気圏内をマッハ10で飛ぶ極超音速が実用化されたかもしれませんね。
離着陸時はコンコルドのように機首が下がるようですが、その機構はよく分かりませんでした。
長い。長いよ。
・Avro 7072 1949
アブロ707は、無尾翼デルタの特性を研究するための研究機で、1949年に初飛行しました。
フライバイワイヤを採用した初期の飛行機の一つです。40年代の機にもフライバイワイヤ制御された飛行機が有ったなんて意外に思いませんか?
もちろん、現在のようなコンピューターを用いソフトウェアで制御されるデジタルのそれではなく、ハードウェア(電気回路)によるフライトコントロールシステムだったようです。
得られた空力的なデータは計画中であったアブロ698無尾翼デルタ爆撃機、「バルカン」に適用されることになります。
また、テストパイロットをデルタ翼とフライバイワイヤの特性に慣熟させる役割も担いました。
てか、この博物館、配置の仕方があまりよくありません。ぐるりと周囲を見渡せないし、写真撮るのに難儀します。
・Saunders-Roe SR53 1957
サンダースロー SR53はロケットとジェットを組み合わせたハイブリッド推進の迎撃戦闘機。
まだ、ジェットが「モノ」になっていなかった40年代〜50年代初期は、ロケットによる強力な緊急出力と、ジェットによる巡航能力をなんとか組み合わせて利用出来ないかと、各国で試行錯誤されましたが、本機もそんな目的で作られました。
1952年に計画が始まりましたが、遅れに遅れ、初飛行したのは1957年でした。
メインエンジンのアームストロング・シドレー バイパー ターボジェット1基、推力7.3kN(弱すぎだろ...)と、右写真の戦闘緊急出力のデハビランド スペクター 液体ロケット1基 37kNを備えました。
予定では全天候能力を持つ迎撃レーダーとファイアストリーク赤外線誘導ミサイルを2発搭載し、マッハ2の速度と、優れた高々度性能を実現するはずでしたが、2号機が離陸に失敗しテストパイロットが殉職してしまいました。
そして、この年イギリスの国防に一大変事がもたらされ、SR53の開発は中止されてしまうことになります。戦略爆撃機と弾道ミサイル、そして迎撃ミサイルを国防の中心に据え、通常兵器の大幅な軍縮が盛り込まれた、「ミサイル万能思想」の代表格として知られる、いわゆるイギリスの1957年防衛白書です。
既に「アフターバーナー」が標準的な緊急出力としてその座を確立しつつありました。本機が初飛行した1957年にはライトニングが、翌年の1958年にF4HファントムIIが初飛行しています。ダメダメ感は否定できません。
ドイツへの輸出の可能性も有ったそうですが、事故や防衛白書が無くてもどうせSR53は中止になっていたでしょう。
・Hunting H126 1963
ハンティング社が製造したH126は、STOLの研究機で、ジェットの排気をダクトでバイパスし、肩翼式の主翼上面後縁にもうけられた16個の吹き出し口から排出し、空気を加速させて剥離(=失速)を防ぐ「ジェットフラップ」を備えました。いわゆるBLCのこと??
1959年に契約が与えられ、初飛行は1963年。後にNASAでも使用され1970年まで試験されました。
「危険!胴体と翼からジェット排気」 失速速度は51.5km/hで、最初から高速飛行する気が無いのか固定脚です。
胴体は分かりますが、上からのぞけないから主翼上面の吹き出し口が見学出来ないのが困る。
バイパスされた推力は、エンジン全体の半分にも及びました。低速時のロール軸制御のため、翼端にも噴出口を備えています。
肝心の推力不足とダクトの配置が複雑で製造とコントロールが困難だったことから、ジェットフラップは実用化しませんでした。(と言うことはBLCじゃないのか)
・Short Brothers SB5 WG768 1954
SB5は、後のライトニングの主翼と水平尾翼配置を試験するための研究機です。初飛行は1954年。主に低速時の操縦性が試されました。
主翼は後退角50,60,69度の3タイプを持ち、最終的には60度が採用されています。
尾翼は胴体後部とT字尾翼の二種類が試され、最初はT字尾翼でしたが、ありがちな低速時の危険な機種上げモーメントから、胴体後部が採用されています。
ライトニングの特徴的な縦列エンジンではなく単発になっています。
しかもエンジンは非力なアフターバーナーもない、第二次大戦直後に完成したロールスロイス ダーウェント。
最初から高速飛行するつもりがないから十分だったのでしょう。速度も649km/hと後期のスピットファイア並み。
翼の最適な配置を試験すると言えば聞こえは良いですが、SB5は必要のない飛行機でした。
というのも、ライトニングの原型機のイングリッシュエレクトリックP1の翼配置に、T字尾翼が良いのではないか、後退角も変更した方が良いのではないか、と、ケチが付いたのがそもそもの始まりでした。
試験の結果、結局原型がベストであると言うことが確認されました。
・BAC TSR 2 1964
(ホワイトバランスが・・・)
戦後のイギリスで設計・製造された飛行機の中で、最も革新的で美しい飛行機(他が酷すぎるという説も...)であるTSR2は、その名称が表すようにTactical(戦術)、Strike(攻撃)、偵察(Reconnaissance)をマッハ2でこなすという意欲的な能力を備えた偵察・爆撃機でした。核攻撃を想定し戦闘行動半径は1000海里と、片道核攻撃機ミラージュiVよりも長い本機が本当に戦術的であったかどうかは疑問です。
また高度200ftをマッハ0.95で飛行する低空侵攻能力も備え、亜音速のキャンベラに代わり配備される予定でした。
しかし革新的な飛行機の常。コスト超過に悩まされ、初飛行の翌年には政治的な決定により実用されることなく中止されてしまうことになります。
テストパイロット曰く「航空史において最も注目すべきデザインを持つ飛行機の一つ」との言葉通り、イギリスにしてはまともな見た目な爆撃機です。
元々イギリス機には熱狂的なファンが多いですが、TSR2はその中でも一番の人気です。TSR2のファンで特に有名なのは岡部いさく氏でしょうね。何で読んだのか大分前になので忘れましたが、TSR2は史上最高傑作機だとこんこんと愛を語っていたのを思い出します。
アビオニクス類。
TSR2は、セントラルコンピューター、赤外線監視装置、地形追随レーダーやヘッドアップディスプレイといった、今日の攻撃機(戦闘機)に標準的に搭載される機器を備えていました。
バルカンやコンコルドと同系列のブリスルシドレー オリンパスエンジンを2基。
水平尾翼はオールフライングテール。戦闘機みたい。
4枚のエアブレーキとボムベイが展開されています。垂れ下がったウィングチップも特徴的です。
中止が決定した後もTSR2は就役させるべきではないか。という議論が長らく交されました。1980年代、サッチャー政権時代にTSR2を復活させる研究が本気で行われましたが、結局実現せずに終わりました。
室内のホワイトバランスは鬼門。オートだとなかなか思い通りになりません。
開発中止は残念でしたが、もし予定通り就役していたとしたら、高コストから邪険にされたに違い有りません。
唯一実戦に投入されそうな湾岸戦争まで果たして現役で居られたかどうか。仮に湾岸戦争で唯一の実戦を経験したとしても、2006年まで偵察機として現役であったキャンベラよりも早く、冷戦終結後の90年代に早々と退役したであろう事は確実です。
TSR2は、「実現しなかったが故に皆から必要とされた機。」であったかもしれません。
・SEPECAT Jaguar ACT Demonstrator
このジャギュアはActive Control Technology、すなわちACT試験機です。
空力的に安定性をわざと損ね、操縦性を強化する静安定緩和を取り入れており、操縦システムも機械的接続から4重フライバイワイヤに換装されています。日本で言うところのT-2CCVですね。いろんな意味で。
T-2のようなカナードこそありませんが、追加されたストレーキがとても特徴的です。
1981年に初飛行し、1984年までに96フライトを実施しました。
テストパイロットはキビキビとしたコントロール応答とスムーズな飛行に感銘を受けたとか。
成果はユーロファイター・タイフーンに活かされています。
ロールスロイス アドーア。2軸ターボファンエンジン。
ジャギュアのエンジンにしてT-2、F-1のエンジン。
偵察ポッド。なぜジャギュアACTデモンストレーターの前に有ったのかは不明。
・Boulton Paul Sea Balliol 1947
ボールトンポール シーバリオールはロイヤルネイビーの着艦練習機。元々空軍機でしたが、艦載用に着艦フックと主翼折りたたみ機構が加えられています。エンジンはマーリンを搭載。
なんでロイヤルエアフォースミュージアムにロイヤルネイビーの飛行機が有るんでしょう。
航空力学を体験で理解するお子様ゾーン。正面から強い風が吹いており、手前にあるスティックとペダルを操作するとエルロンやエレベーター、ラダーが動き、スピットファイアの姿勢が変化します。全く同じモノが埼玉の航空発祥記念館に有ったのですが、RAFミュージアムをまねたんでしょうか。
ステルス機のRCSモデル?(^^;
■ウォープレーン
ウォープレーンとは、その名の通り第二次世界大戦で活躍した軍用機を言います。
ここ、コスフォードRAFミュージアムのウォープレーンハンガーはロンドンと違い、どちらかというとイギリス以外の飛行機が多く展示されています。
また、何故か第二次大戦機以外の戦後に登場した機も。一体どういう基準で選んでるんでしょ。
・Messerschmitt Me 163B-1a Komet
まんまるコメートさんヾ(゜▽゜)ノ
タービンの無いロケットエンジンでは発電出来ませんから、機首部に小さいラムエアタービンを備えており、コメートのチャームポイントとして知られています(?)
「秋水」はバッテリーを搭載しており、ラムエアタービンが有りません。
ユニークな降着装置。離陸後に車輪を投棄し、着陸はランディングスキッドを展開します。一度展開したランディングスキッドは再収納できません。接地面積が小さく見るからに着陸が難しそうですが、実際横転が多発したようです。
ラインメタル Mk108 30mm機関砲。Mk108はマークではなく「マシーンカノーネ:機関砲」の略称です。毎分650発、マズルベロシティは540m/s、二挺合計で120発の弾丸を装備。30mmなのに、スペック的には零戦の99式20mm機関砲とほぼ同じですから驚きです。
109-509Cヴァルター機関。コメートのロケット。レシプロエンジンと比べると非常に小さく、そして軽量であり、小さい機体で済んだ理由がよく分かります。ちなみにこれはパワーアップ型のMe163D(Me263)のロケットで、19.6kNの主燃焼筒の下に小さい副燃焼筒3.9kNを備えています。コメート最大の弱点であった航続距離の短さを克服し、巡航飛行能力を得ようとする処置でした。
局地防衛に力を発揮したコメートさんでしたが、連合軍爆撃機がコメートの基地を迂回するようになると無力化されてしまいました。
連合軍側はドイツ爆撃にあたり、陽動やウィンドウ(チャフ)の散布など、迎撃管制の攪乱戦術を熱心に実施していたため、迎撃機が誘導されて行ってみればそこには何もおらず、爆撃機本隊は別の場所を空爆中だった。ということが多々あったようです。
コメートに限らず、ドイツの戦闘機は皆航続距離が短かったですから、それに気がついてもいったん補給に降りなくてはなりませんでした。
迎撃戦闘機には航続距離は(さほど)必要ないという考え方は誤りです。機動が制限されてしまうことには変わり有りません。
・キ46 III 一〇〇式司令部偵察機三型
ダイナだー。日本機だーっ!ヾ(´▽`)ノ
博物館の説明文によると「ドイツは日本から百式司偵の製造権を得ようとしていましたが失敗しました。」
だそうです。マジで!? 時速600km/h超の本機なら確かに欧州戦線でも通用しそうな偵察機です。
バトルオブブリテンにおいて、ルフトバッフェの先鋒として快速をもって英本土に飛来。RAFはこれを迎撃せんとするも、ハリケーンは引き離され、スピットファイアでもなかなか追いつけない。この様子を見たドイツ人の無線手は「ワレニ オイツク スピットファイア ナシ」を打電なんてしたりして。
ゲーリングにどんな飛行機が必要かと聞かれたガーラントが「百式司偵をください」と即答したり。英軍には死に神と畏怖され、百式司偵を見た者は三日後に死ぬ(爆撃される)と噂される。みたいな?みたいな?
あ、スミマセン。あとはチラシの裏に書きます...。
もっと近くでじっくり見たいけど、狭い格納庫にぎゅうぎゅう詰めで近寄ることができません。
博物館の説明には「第二次大戦中もっともエレガントな飛行機の一つ」とも書いてあります。変態機ばかり作ってセンスが悪い、いや「センスがおかしい」イギリス人にしては、分かってるじゃないですか。
ちなみに本機のレストアにあたって三菱重工が多額の寄付を行っています。GJ (´・ω・`)b
機首部が流線型に成形された本機は3型で、最高速度は630km/h。
迎撃戦闘機型も開発されましたが、ペトリャコフPe-2やデハビランド モスキートみたいに爆撃機型も作れそうです。
あまり知られていませんが、百式司偵は2機が中共により捕獲され、攻撃機の練習機として1950年代まで運用されました。
・MXY-8 桜花11型
大バカ。実は見るのは初めてです。この機にだけは冗談の一つも書けそうにありません。
まさに巡航ミサイルにコックピットが付属したような外観で、人が乗るとは思えないほど小さい印象をうけました。
2200kgの運用重量の半分以上を占める1200kg徹甲弾頭を収納するため、機首が以上に長くなっています。「真に必死のデザイン」です。
見るからにやる気のない照準機。射撃するでもなし、爆弾を投下するでもなし、体当たりするのだから此で十分ということなのでしょう。
イギリス人(?)の見学客がじっと見つめていたのが印象に残りました。この狂気の飛行機をどう感じていたのでしょう。
ちなみに戦後のソビエトも「RS」と言うバカな特攻専用機を製造しました。弾頭は核爆弾で、Tu-95に搭載され射出される予定でしたが実用化には至りませんでした。
・Messerschmitt Me 410A-1-U2 ホルニッセ
ヒトラーが大好きだった双発駆逐機シリーズ最後の飛行機。
コスフォードにはなぜか日本語の説明文も有るのですが「デストロイアシリーズ」とか、不思議な翻訳がされていました。
原型となったMe210はゴミ、カス、うじむし、ぼうふら、ふなむし的なひどい大失敗飛行機で、安定性が悪くスピンしやすい、そのうえ1機ごとに操縦特性が異なるというとんでもない困ったチャンで、生みの親のメッサーシュミット博士がサボタージュ有罪寸前まで追い込まれたという大大失敗機でした。Me410ではそういった悪癖は解決し、ドイツ軍のP-38的な万能戦闘攻撃機に仕上がりました。各地の戦線で戦闘・攻撃・偵察・対艦とマルチロールに活躍しています。機首部はどことなく百式司偵と似てます。
リモートコントロール式の機銃。
セガサターンの「アドバンスドワールドウォー 千年帝国の興亡」というドイツ軍のシミュレーションゲームをご存じでしょうか?
このゲームのMe410は500kg爆弾による地上攻撃能力も一級品なのに、戦闘攻撃機Fw190FどころかFw190D並みに空戦能力が高く、爆撃のついでにマスタングともガチで戦える空対空戦闘能力を持っていました。ゲームの終盤はMe410だけ生産すればOKというとんでもない過剰評価っぷりでした。よっぽど愛されてたんでしょうかねえ。
機首部に集中した20mm機関砲2門と9.72mm機銃2挺。照準がつけやすそうです。
ボムベイが酷い場所にあります。これ、爆弾投下後にとんでもないピッチアップしそうな気がするんですけど。
投下と同時に大きくダウントリムを取らないと、操縦桿をおさえきれなさそう。
・Focke-Achgelis FA330
タコ。ええタコなんです。無動力なので浮上中のUボートから有線で曳航し空中にて周囲の警戒にあたります。
・Fi156
大きなアスペクト比を持った矩形翼が特徴的なFi156連絡・観測機。
こいつのせいでホルニッセのシルエット全体を撮れない。
・Spitfire Mk.I
スピットファイアMk1。イギリス製の軍用機で数少ないまともな飛行機の一つ。
スピットの中ではMk1が一番好きなのですがありふれた機体なのでスルー(´ー`)
スピットに搭載された各種機関砲。上からブローニング7.7mm、ブローニング12.7mm イスパノスイザ20mmと、そのカットモデル。
P-51D Mustang
もういいよ。マスタングは...(^^;
しかし、そんなマスタングも我が国には1機もない(゜д゜)
・Hawker Hind
ハインドはハートを原型にした爆撃機。1935年就役。しかし高まるヨーロッパの戦乱の兆しから3年後には近代的な単葉の爆撃機に更新されてしまいました。ブレニムとかバトルとか。でも、どっちもンンン!!な飛行機でした。
本機は当時のアフガニスタン王国空軍に供与され、1968年に逆にRAFミュージアムへと寄贈された機だそうです。
ハインドのエンジン、ロールスロイス ケストレル。初期にはJu87スツーカもこれを積んでました。
Hawker Hurricane IIc
ハリボマー。フライトシミュレーターだとハリケーンは視界良好、安定抜群、旋回良好、弾道最高、離着陸容易と扱いやすくて大好きです。本機は英国国内における訓練用機として運用されました。
・de Havilland Mosquito TT35
狭すぎて全体を撮れません。見る分にはともかく、撮るにはあまりよくない場所です。
このモスキートはドイツ降伏寸前に生産され、100時間ちょっとしか飛んでません。
TTとはTarget Tugの略。訓練における標的曳航用機。
オードナンス6ポンド対戦車砲をモスキート搭載用に改造したもの。57mm機関砲です。一発あたりの弾頭は3kg弱ですよ...。
装弾数は24発。射程距離は1500m前後でマズルベロシティは900m/s。
うどんワンダー! 香川県民驚喜!
戦闘機なんだか爆撃機なんだかはっきりしろ。(どっちも有るけど)
・Consolidated PBY-6A Catalina
キャットという愛称で呼ばれたカタリナの最終タイプ。コックピット上のレドームに目が引かれます。
本機は1945年に就役し米海軍機として活躍しましたが、後にデンマーク空軍が購入。
退役後にRAFミュージアムに格安で売却されました。本機にはデンマークのラウンデルが描かれています。
・Avlo Lincoln
ランカスターの後継機。ペイロードが強化され、特に太平洋での使用が考慮されていたためフルペイロードにおける作戦行動半径は2300kmと、かなり長くなっています。しかし、部隊配備は45年9月と戦争終了後になってしまいました。生産数はランカスターの僅か1/10の604機。それでも戦後を細く長く生き続け、キャンベラと併用され1955年の戦後Vボマーの登場まで現役を務めました。
大戦機(正確には違いますが)のボムベイは迫力ありますよねえ。
・Folland Gnat F1
ナットF1は元々RAFの練習機として設計されました。
肥大化する戦闘機のアンチテーゼとして軽くて機銃のみで武装したナット。初飛行は1955年なのでMiG-21やF-104とほぼ同世代です。
(以下ソレントスカイミュージアムのコピペ)
第二次印パ戦争ではF-86を9機撃墜。損害はサイドワインダーにやられた1機だけでした。第三次では7機のF-86を撃墜。損害は12.7mmに撃たれた1機だけ。さすがにF-104やミラージュIIIを相手には負け越していますが、セイバーを相手にした時には異常なまでに力を発揮しました。空中戦全体を見るとパキスタンが勝ち越しており、インドが特別練度に優れていた訳では有りません。
F-86と推力は20%程低い程度なのに自重は半分もありません。速度で同等、推力重量比に勝り、圧倒的な上昇力を持ち、翼面荷重も低かったため、ドッグファイトに入ると無類の強さを見せました。一時期最強を誇った軍刀も刺し蝿だけは切れなかったようです。
スピットファイアF Mk24よりも小さく軽い、史上最も小さい実用ジェット戦闘機だからこそ出来た勝利でした。全長は8.74mと空自のT-7といい勝負です。
・Panavia Tornado P02
本機はトーネードのプロトタイプ2号機にしてイギリス仕様の1号機。
百式司偵の隣、Me163の向かいに展示されているという、まったくもって場違いな飛行機。
74年から87年の間に63007ftまで上昇したりMach2.02まで加速したり、620回のフライトと608飛行時間をこなしました。
・FMA 1A58 Pucara
フォークランドでの戦利品。アルゼンチン製のCOIN機。国内のゲリラ勢力を相手に使うには優れた飛行機でした。
正規軍相手では分が悪すぎでした。24機のプカラがフォークランド諸島に送られ対地ロケットによる攻撃任務を実施しましたが、唯一戦果らしい戦果はウェストランド スカウトを1機撃墜したのみ。(その機もまもなく墜落しています。)
ほとんど地上で撃破され、1機がハリアーに撃墜されてしまいました。
生き残った5機は英軍に捕獲されてしまっています。
・de Havilland Venom FB4
ベノムはヴァンパイアに似ていますが、再設計された新型機です。
この機はスイスでライセンス生産され、のちにRAFミュージアムに寄贈されました。
展示機のラウンデル一覧。なんか日の丸の比率がおかしい。
英国の歴代ラウンデル一覧。最近の飛行機はロービジばかりになってしまいました。
代表的な日本機はだいたい揃ってますね。パリのミューゼドレールには零戦と一式陸攻しかなかったのに。
イギリス空軍博物館 コスフォード 2008年夏
Royal Air Force Museume (ロイヤルエアフォースミュージアム) -
Cosford
■その1 テストフライト/ウォープレーン 格納庫
・コスフォードへの行き方 ・テストフライト ・ウォープレーン
■その2 コールドウォー/ハンガー1 格納庫
・コールドウォー ・ハンガー1
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