ボービントン戦車博物館 2008年夏
Bovington Tank Museum
行き方・屋外展示
第一次世界大戦〜戦間期
第二次世界大戦
■冷戦期
  • 西側諸国
  • 東側諸国

ボービントン戦車博物館は戦車発祥の国、英国ブリテン島南部ドーセット州ボービントンに位置します。
「世界最大の戦車博物館」を自称するだけあって、コレクションの数は半端ありません。その状態も極めて良好です。そして何より見学通路と戦車の間には柵やロープが無く、「DO NOT TOUCH」などの表示もありません。あらゆる角度から思う存分眺めることが出来ます。ただし、車両間隔が狭いので、全体を写真に撮りたい場合は、とても難儀する事でしょう。
2時間程度見学しましたが、陸戦に関する知識が薄い私ですらまったく時間が足りてないと感じました。英国滞在最終日で、その日の夕方の便で帰国しなければならいため、仕方無いといえば仕方なかったのですが、もう少し見学していればよかったと思っています。
戦車好きな方でしたら、1日丸々見学予定を入れておいたほうが良いでしょう。好きでも無しにこんな辺鄙なド田舎まで行くなんてないか(´ー`)
なお、一部を動態保存しており、毎年6月に「Tank Fest」というイベントでティーガーIなどを走らせているようです。
私たちが訪れた日にも、74式戦車に似たような音の車両が走り回っていました。館内に居たので車種は分かりませんでしたが。

音に反応してとっさにカメラを向けて撮影した写真。酷い露出オーバー。
全然分かりません。 チャレンジャーIIの砲塔を替えた教習車だそうです。感謝。

■行き方

ボービントンの周囲には街らしい街は無く、森と丘と草原に囲まれた、超ド級の田舎に存在します。
今度の英国旅行ではレンタカーを使っていきましたから、公共交通機関での詳しい行き方は調べていませんが、ロンドンのWaterloo発のSouth West Trainsで、最寄のWool駅まで行き、そこからタクシーを使っていけるようです(途中エアショーで有名なファンボローを通過します)。
私たちはRIAT終了翌日の朝8時ごろに、スウィンドンの滞在先ホテルを発ち「あっちじゃない、こっちじゃない、間違ってるんじゃないか?」と、バディと慣れぬ土地に悩みながらも、10時頃に到着しました。

http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ie=UTF8&ll=50.694616,-2.242252&spn=0.003289,0.006899&t=h&z=17

リンクで博物館の周辺地図にジャンプします。
Kinge George V Rdからは入場できません。博物館南側のBovington Lnから入場します。
Wool駅は、博物館の南東約1-2kmにあります。
(Photo:ゆりあんさん)
スウィンドンから丘陵地帯をひたすら南下。同じ島国なのに日本とはまったく違った景色が楽しめます。
ちなみにこの道路は制限50マイル。すなわち90km/hです。しかし、集落を通過する際はいきなり30マイルに制限されます。一週間で1000km近くブリテン南部を走り回りましたが、30マイル=58km/h未満の速度制限標識は一度も見ませんでした。日本のように信号の無い3車線道路や郊外の直線道路まで50km/h制限するような、馬鹿馬鹿しいまでの杓子定規とは違ってとても合理的です。
ですが、イギリスはスピード違反には非常に厳しくスピードカメラがあらゆる場所に設置されている(特に集落の入り口)ので、速度制限は守りましょう。帰国後に約12000円罰金を請求されました(涙)
そうそう、標識と言えば戦車のマークが描かれた「戦車注意」の標識を何度も見かけました。ボービントンの北1〜2km近辺はどうやら軍の演習場になっているようで、車種は分かりませんでしたが一般道を装甲車が走ってました(^^;
(Photo:ゆりあんさん)
おお、すっげえ教会がある。きっと名のある教会に違いない。とおもったら、やっぱりそのとおり。ソールズベリー大聖堂と言うそうです。
建立は13世紀。塔の高さは123mです。宗派はカトリックでしたが現在は英国国教会です。
1520年頃、当時のイングランド国王ヘンリー8世は、今で言うところの「メイド萌え」の元祖のような人で、嫁のメイドさんに手を出し、挙句の果てに嫁とは縁を切ってそのメイドさんと結婚したいと思うようになりました。しかし、カトリックは離婚を認めていません。しかもその嫁は、当時最盛期を迎えていたカトリック教国のスペイン王家出身。ローマ教皇だってそんなのOKとはとても言えません。
ヘンリー8世は「じゃぁカトリックなんてやめてやんよ!」と、当時急速に勃興しつつあった宗教改革の尻馬に乗ってローマ教皇と絶縁。イングランド国民全てを巻き込んで、あらたに英国国教会を設立しました。で、そのメイドさんとの間に生まれた子供は、かの有名なエリザベス1世となりました。
しかし、愛情とは長く続かないものです。離婚の自由を得た節操無しのヘンリー8世は、今度はその元メイドさんのメイドさんを嫁にしたくなり、元メイドさんと離婚・難癖をつけて死刑にした挙句、あらたにメイドさんと結婚しました。
しかし、そのメイドさんもすぐに亡くなってしまったため、最初のメイドさんのいとこ(やっぱメイドさん)を……(まだ続くので略)……。そう、イギリスで信仰されているキリスト教の宗派は全て「メイド萌え」から生まれたのです。
メイド萌え教の総本山はロンドンのウェストミンスターにあります。バッキンガム宮殿やビッグベンから歩いていける距離にあり(2006年に行きました)、また最初のメイドさんが処刑されたロンドン塔は、軽巡HMSベルファスト記念艦からタワーブリッジを渡って向い側にあります。ついでにどうぞ。 って戦車博物館のページに何を書いてるんだ。私は。

(Photo:ゆりあんさん)
幻想的な森のトンネルを何度もくぐりました。キレイ。
でも、動物の飛び出しに要注意。跳ね飛ばされた動物の死骸を見たのは一度や二度では有りません。そして自身も危うく鳩とバードストライクしかけ、「うおおおおおおおおおおおおお!」とか、声をあげてしまいました(^^;
あと0.2秒鳩が遅く飛び立っていたら確実にフロントガラスは血まみれになっていました。保険は掛けていますが、気持ちのいいものではありませんからね。
(Photo:ゆりあんさん)
一週間レンタルしたプジョーを紹介。排気量の小さいクルマですが、上り坂でも軽々と加速してくれました(MTですしね)。
いやー、2006年の英国遠征でレンタカー使ったときはKIA(韓国車)だったで心配してましたが、フランス車でよかった。外車の日本仕様車に乗ったことがある人はご存知と思いますが、このプジョーも左側走行のイギリスにあわせた右ハンドル車なのでワイパーとウィンカーが逆でした。 曲がろうとして無意識にワイパーを動かすという恥ずかしいミスを、私も同行したバディもやってしまいました(笑)。
また、ディーゼルMT車なのが欧州車らしいです。なかなか燃費が良い印象を受けましたが、イギリスを訪れた08年7月当時はポンド高と原油高の頂点で、軽油リッター300円という驚きのお値段だったので、ありがたみも半々です。それに、日本とは逆にガソリンよりディーゼルの方が税金が高いのです。
約2万円の燃料代を出費しましたが、高速道路が無料の上に一般道が日本の高速道路並みの制限速度なので日本で同じ距離を走った場合より確実に安くついたと思います。

(Photo:ゆりあんさん)
余談が長くなってしまいました。敷地に入ってすぐにチーフテンの砲塔が放置されています。


こちらは駐車場の前。チャーチルMk.I
主砲の2ポンド砲より副砲の3ポンド榴弾砲の方が立派に見えてしまいます。


白いセンチュリオン。


なんだこりゃ。KV-2より醜い。さすが英国クオリティ。アンバランスにも程があります。
既存の車体にギャグで砲塔をつけたのかと思ってましたが、どうやら実在するようで、FV4005 ステージ2 183mmガンタンク コンウェイというそうです。ガンタンク(砲戦車)って(^^;
183mmとか、おのれは榴弾砲かい。で、真面目な話JS-3をアウトレンジするためにこのようなアンバランスな形状になったそうです。

■第一次世界大戦〜
英仏連合軍および独軍ともに長大な陣地を築きあげ、両者ともに突破不可能な膠着状態にあった”塹壕戦”を打開すべく、イギリスは、履帯による不整地突破能力と、装甲による機関銃弾防御力を持ち、かつ自身の火器で敵を粉砕する能力を備えた、Tank=水槽という暗号名を持つ新兵器を開発しました。
ちなみに、第一次世界大戦の引き金となったサラエボ事件で、フェルディナント大公と共に暗殺された、大公の嫁のゾフィーも元メイドさんでした。(まだ言うか!)
じゃ、そんなわけで第一次世界大戦から戦間期のエリアにあった戦車を見てみましょう。

・インディペンデント

なんという多砲塔。えー中心の一番大きい砲塔が3ポンド砲で、その周囲4つの小さい副砲塔がビッカース7.7mm機銃です。水冷式の機銃ですから、砲身の覆いで一見大砲に見えます。
「陸上戦艦」という言葉がピッタリです。と思ったら、本当にそういうコンセプトだったようで。残念な事に試作1両だけで終わってしまいました。

・Light Tank Mk.II

軽戦車 Mk.IIは30年代に生産された訓練戦車。

・Light Tank Mk.IV

Mk2と同シリーズ?の軽戦車Mk.IV。インディペンデントの副砲と同じビッカース機銃でしょうか?
第二次大戦中も使用されたそうです。

・ライトタンク Mk.V

これも同じシリーズっぽいですね。

・LIE3

なんか水陸両用戦車らしい。

・D3E1

これも水陸両用?

・Stridsvagn M40L

ストリドヴァーゲン? 多分戦車という意味なんでしょうけども、読めねーです><
どう見ても第一次大戦世代のエリアには相応しくない近代的な戦車ですが、1940年にチェコ製戦車を原型にスウェーデンが生産した戦車のようです。

・Crossley Mk.1

クロースレイ?

・Rolls-Royce 1920 Mk.1

(´∀`)??

・レイランド

1930年代初頭に発注を受けてレイランド社が製作した装甲車。20mm機関砲と7.7mm機関銃を二挺装備、砲塔はスウェーデンのL60戦車の砲塔を流用してる。

・Little Willie
(Photo:ゆりあんさん)
ひょうきんな顔に見えるリトルウィリーは第一次世界大戦中の1915年に製作された「戦車」のコンセプトモデルの試験車両です。
言うなれば全ての戦車の祖ですね。菱形戦車 Mk.Iに進化しました。
ちなみにリトルウィリーとは男の部分が「短小」という隠語。

・Mark.I Male

世界最初の実用戦車Mk.1が塹壕を突破せんとするジオラマ。
不整地突破能力を備えた履帯、銃弾を跳ね返す装甲と、銃砲による火力、これらにより塹壕の突破口を開き、歩兵の突撃を支援する目的で戦闘に投入されました。しかし、故障も多く相手をビビらせる程度の効果しかなかったようです。

スピーカーからドイツ兵の悲痛な叫びが館内に響き渡ります。とりあえずそこの非常口から逃げたら?(笑)

だからって、このビビりかたはどうかと思う(笑)

・Mark.II Female

Mark.Iとあまり変わらない改良型。現存してる唯一のMk2です。
上のMk.1と違いビッカース機銃で武装していますが、大砲で武装した型をメール(男)、機銃で武装した型をフィメール(女性)と呼称しました。

・Mark.IV Male

Mk.4は、1918年4月にドイツのA7V戦車を撃破し、史上初の戦車対戦車の戦いに勝利しました。
1〜2と比べると砲塔の形が大分異なってますね。主砲も短砲身です。

・Mark V Female

Mk5です。内部を見学する事ができました。
車体の真中にデデン!と巨大なエンジンが剥き出しに配置されています。クルーは騒音と熱でさぞ苦痛だった事でしょう。

・Mark VIII International

アメリカとイギリスで生産された、通称”インターナショナル”と呼ばれたMk8。
ようやくエンジンと室内が分離され、さらに武装によるメール・フィメルの区分もなくなりました。
もはや菱形戦車の面影なし。

・Mark IX International
(Photo:ゆりあんさん)
菱形戦車の歩兵戦闘車タイプ。


・??

第一次世界大戦時のドイツの重臼砲。クルップ社製。最大射程が11kmちょい。115kg近くもあるでっかい榴弾を向こうの塹壕に向けてドンドン撃った。スウェーデンやフィンランドなんかでも使ってた。なにやら防盾が無くなっとる。

・Renault FT

近代戦車の祖、1917年生まれの小さくて可愛いフランス製ルノーFT。
車体に旋回砲塔という戦車の基本スタイルを確立したことで有名です。戦闘機で言うところのフォッカー アインデッカーか。
主砲と言うにはあまりに頼りないホチキス8mm機銃を一挺だけ装備していますが、当時の戦車は歩兵をなぎ倒すのが目的でした。
1940年の対独戦にも投入され、1942年にも英軍はシリアにおいてビシー政権のルノーFTと交戦したそうです。
ノルマンディー近くの英仏海峡に浮かぶチャンネル諸島では、1944年、連合軍に追い出されるまでドイツ軍が運用しました。凄い。

・ホイペット

第一次大戦中、菱形戦車の鈍足を解消すべく、速力向上計画で作られた中戦車。
旋回砲塔だったら、ルノーFTと並んでホイペットが近代戦車の祖と言われてたかもしれませんね(?)
ちなみにこれは後ろ向き。どっちが前だか分からないのもホイペットの特徴です。

・PEERLES

(´∀`)??

・HORNSBY

大戦勃発前の野戦砲を牽引するトラクターとか。
馬が怖がるから辞めろ。と言われたとか。

・塹壕

マークIの展示を進むと、そこは第一次世界大戦の塹壕となっています。ブリテン人お得意の蝋人形で、当時の塹壕戦を再現。
銃声、爆発音(そしてMk.Iに驚くドイツ兵の悲鳴)が響き渡ります。


戦線の長い塹壕を抜けるとそこは…。









そこにはケーニヒスティーガーがあった!ヽ(@゜∀゜@)ノ

次回更新に続く…。

■第二次世界大戦〜
第一次世界大戦で登場した戦車という兵器は、戦間期に確立した戦車を集中運用する二つのドクトリンにより革命的進化を遂げました。
一つはソビエトのミハイル・トハチェフスキーによる縦深戦術。機甲部隊により戦線を突破した後、敵後方の司令部、インフラを直接攻撃し戦線部隊の兵力を麻痺させ、さらに突破口へ大兵力を投入し機甲部隊の後背遮断を防ぐ戦術です。連邦崩壊まで長らくソビエトの基幹的な戦術理論でありつづけました。
しかし、トハチェフスキーを筆頭とした軍の指導層は大粛清により抹殺され、将官に繰り上げ昇進した現場の軍人らはそれを引き継ぐ事ができず、序盤の対ドイツ戦では大敗北を喫してしまいました。
そしてもう一つがドイツのハインツ・グデーリアンによる電撃戦です。縦深戦術同様に機甲部隊の集中運用で戦線を突破し、その後敵の後背に回り敵前線の兵力を包囲殲滅します。先の大戦の防御優位を攻勢優位に逆転させ、半月あまりでポーランドを踏み潰し、2ヶ月弱で同等以上の兵力を持ったフランスを降伏させ、ソビエト戦初期には首都モスクワまで迫る大勝利を実現しました。
二つのドクトリンの確立は、必要とされる兵器の発展方向性を示し、戦車は火力・防御力・機動力がバランスよく備わった「陸戦の王者」としての地位をも確立させてゆく事になります。では、その過程で生まれた数々の戦車を堪能することにしましょう。

●ドイツ軍の戦車
・Panzerkampfwagen I Ausf B

1号戦車の指揮車両型。回転ターレットを廃止し、2〜3の無線通信セットを装備しました。指揮車に戦車と同等の機動性を与える事は非常に有益であったようです。
本車両は北アフリカ戦線で英軍が捕獲したもので、上部構造の正面、ちょうど中央付近に小さな貫通痕が遺されています。対戦車ライフルにでもやられたんでしょうか。

・Panzerkampfwagen II Ausf F

2号戦車F型は正面装甲を14mmから30mmに強化されていますしかし20mm機関砲では「戦車」と呼ぶにはあまりにも貧弱です。よくこの車両で対戦車戦闘やりましたね。
本車両は北アフリカで英軍に捕獲されたものですが、フランス侵攻時の塗装で展示されています。

・Panzerkampfwagen II Ausf L ”Luchs”

ルクス(リンクス)は2号戦車L型という名前なのに、2号戦車とは別物という初心者キラーの偵察車両。
ロシアの酷い泥濘対策のため幅の広い輪転と履帯により、強力な不整地突破能力を目的としました。僅か100両のみが生産されましたが、東西両戦線で広く運用さました。本車両はノルマンディ・ファレーズの戦いにて英軍が捕獲したものです(おそらく の但し書き付き)。

・Panzerkampfwagen III Ausf L 

装甲強化型の3号戦車L型。本車両は1942年ニュルンベルグで製造され、鉄道でナポリへ運ばれ船便でベンガジへ、アラム・ハルファ〜エル・アラメインの戦いで英軍に捕獲されました。
この3号戦車は稼動します。

・Panzerkampfwagen III Ausf N

履帯が外され、側面がズバっとカットされている砂漠戦塗装の3号戦車N型。4号戦車が長砲身75mmに換装され余剰となった75mm KwK37 L/24を搭載したタイプです。
短砲身ゆえに初速は遅いものの、成形炸薬弾が非常に効果的でした。ティーガーの生産遅れのため、ティーガー戦車大隊(定数約50両)に10両ずつ配備され、それを補完しました。ウィキペたん日本語版には大隊編成は虎25両,3号20両とありますが、どっちが正解なんでしょ。本車両は三つ下で登場するティーガーと同じ大隊に所属していました。
で、上に積まれている容器は(戦車の上にタンクとな)まさかガソリンではなくて水ですよね?

・Panzerkampfwagen IV Ausf D

4号戦車D型というと短砲身(75mm KwK37)のイメージがありますが、本車両は現地において75mm KwK40に換装したタイプです。

「覆い」を付けた4号戦車はティーガーに似てるなあ。と、てっきりティーガーに見せかける偽装なのかと思ってました。実際ティーガーとよく間違われたようで。大きさが違いますが、数百メートル先からではわかりません。
覆いはシュルツェンと言い、HEAT弾対策だと知ったのは帰国後の事。イラク駐留中の米軍車両が金網で覆われてるのと同じか。

・Panzerkampfwagen VI Ausf E Tiger

垂直に切り立った装甲のティーガーはカッコよすぎる。古臭いながらも装甲と主砲力に力強さを感じます。
本車は1943年4月21日、チュニジアにおける英軍との交戦で2両のチャーチルを撃破しました。しかし6ポンド対戦車砲の狙撃を受けガンマントレットを損傷。装甲は破れませんでしたが砲塔が故障し、衝撃で車長が負傷。クルーは戦車を捨てて離脱。そして英軍が捕獲しました。その後、他のタイガーから部品を調達し修理を行い、連合軍がはじめて手に入れた破壊されていないティーガーとなりました。
「上部構造正面のプレートとターレットが持ち上げているボス(boss)の上に、その弾痕が確認できる。」とありますが、ボスってなに?※

あのね、あのね、窓際に置かないで欲しいの。太陽光が射して露出が…。あと、間隔も取って欲しい。写真撮れません。
ほんと、見た目のバランスいいよなあ。ティーガーは。ちなみにこのティーガーは2004年に修復が完了し、自走可能状態にあります。
毎年6月に戦車祭り開催中なので、興味が有る方は訪れてみてください。

※本ページを公開後「戦車の上部構造物のボス部というと、おそらく主砲の根元を覆っている軸受けの部分ではないかと思います。」
と、ご指摘を戴きました。どうやら、この部分が弾痕のようです。

・Panzerkampfwagen VI Ausf B ”Tiger II”

と、言う訳で第一次世界大戦の塹壕を抜けた先には、いきなりケーニヒス・ティーガーこと6号戦車B型ティーガーII 初期生産型のポルシェ砲塔搭載タイプが待ち構えていました。WW2エリアに入るなりいきなりコレですよ?他の車両がショボショボに見えてしまいますよ。
2号戦車や3号戦車が主力だった大戦初期から5年足らずでここまで進化したのですから、進化スピードは半端では有りません。スーパーサイヤ人(ティーガーI)がスーパーサイヤ人2になったとか、もはや戦闘力インフレはドラゴンボール並み。
戦闘機はせいぜい500km/hから700km/hにアップした程度で、旧式機にもまだ対抗の余地が有りましたが、九七式中戦車でどうやってこの怪物と戦えと?

この主砲ありえねえ。88mmL71凄く長いなあ。90式戦車の120mmL44より迫力があります。
10.2kgの徹甲弾をマズルベロシティ1000m/sで射出し、1000m先の30度傾斜した165mmの装甲を打ち破る事ができます。ティーガーIIの車体前面装甲は150mmですので、自身を含んだ当時存在した全ての戦車を破壊できました。
ポルシェ砲塔タイプは、砲塔正面の下半分に被弾すると、弾いた弾丸が車体の上面を貫通してしまうという欠陥があったため、総生産数489両のうち、初期型50両以降は角張ったヘンシェル砲塔タイプに変更されています。

と言う訳で、ヘンシェル砲塔のパンツァーカンプフヴァーゲン ゼッハ ティーガーツヴァイ
イギリスは1944年6月のノルマンディー上陸作戦においてティーガーIIと初交戦。言うまでも有りませんが、重装甲と大火力で大変恐れられました。しかし、同時にドイツ軍も機械的な故障に悩まされました。
(手前に置いてあるティーガーIIの模型もなかなか大きいですね。)
 
この縞模様のざらざらコーティングは何のためにあるんでしょう?滑り止め?と、思ってたのですが、博物館の説明文によると、
「ツィンメリット(Zimmerit)とよび、磁気による付着を防ぎ、かつ金属独特のつやが消えてカモフラージュ効果を改善する。」ですか。「磁気による付着」って何のことだとおもったら対吸着地雷のようで。ひとつ勉強になりました。

この104号車はノルマンディーで捕獲されたものです。
帰国後、陸オタどもに初歩中の初初初初歩のツィンメリット知らなかったとか…と、アホ扱いされました。
「そんな奴がキングタイガーに触るとか、猫に小判だな。」という心の声が聞こえてきそうです(ないない)。
く、悔しい。すほーい機種全部言えんくせに(><)


・Sturmgeschutz III Ausf G

ここからは、突撃砲・駆逐戦車です。まず最初に丸太を搭載した3号突撃砲G型。通称豚の鼻。
3号突撃砲はドイツ軍装甲車両としては最多の10,619両が生産され、G型はその中でもさらに最多の7,893両が生産されました。ドイツ軍最多の20,000両以上の連合国・ソビエト軍の装甲車両を破壊しました。
丸太は泥濘でスタックした場合に履帯に噛ませるのかと思ってましたが、これって補助装甲のつもりなんですってね。
HEAT弾ならともかく、徹甲弾で効果が有ったのでしょうか。


・Jagdpanther

私:「ああ、こりゃ分かる。ヘッツァーだよね。」
バディ:「ヤークトパンターだって。ヘッツァーは左のだよ。」
大きさふたまわりはちがうやんけ。ヤークトパンターもヘッツァーも見たことがあったのに(´・ω・`)
主砲はケーニヒスティーガーと同じ88mmL71ですか。さすが長い。
このヤークトパンターは面白い事に戦争終結後、英国軍の発注により生産されました。また、ボービントンにはヤークトパンター同様、英軍の発注で生産された5号戦車パンターも保有しているようですが、私たちが訪れた際にはどこにも有りませんでした。

・Jagdpanzer 38(t) Hetzer

そしてヤークトパンツァー ヘッツァー。
グデーリアン将軍による、小型で機敏で、被発見性が低く、装甲で防御された自走対戦車砲を開発せよとの命によって設計された駆逐戦車。なるほどね。小さい訳です(これでもう間違えたりしないっ)。 ヤークトパンターも本車も避弾経始の良さそうなスタイルですね。
戦後、スイスでもG13という名で生産されたようですが本車両はオリジナルです。

・Jagdtiger
 
車体正面の装甲は250mm。に128mm砲を搭載。ついにスーパーサイヤ人3が登場。
「第二次世界大戦における最も大きく、重く、強力な無限軌道の戦闘兵器は間違いなくヤークトティーガー自走砲でした。」
異論は受け付けません。文句はそう説明文に書いた博物館へどうぞ。私は和訳しただけです(´∀`*)
250mmの装甲は英軍17ポンド砲のAPDS(500mで30度に傾斜した203mmの装甲を貫通可能)ですら弾き返してしまいます。
この車両は終戦後、ドイツ本土のSennelager…センネラゲル?で発見されました。
ツィンメリットはポルシェ生産型のみ塗布されました。

そして128mm砲。こりゃまた凄い迫力。この砲もアハトアハト同様、対空砲を原型としています。
重装甲と巨大な砲を搭載する代償りとして、酷い速度性能と航続距離、そして低信頼性に悩まされ、満足に戦闘する事無く自ら各坐する車両が多数発生しました。電撃戦?何だっけそれ?
さらに、150両の生産命令のうち77両のみが生産されましたが、その資源・労働コストはヘッツァーの7倍に達しました。不安定な77両のヤークトティーガーよりも信頼性の高い500両のヘッツァーの方が作戦に貢献できたであろうことは想像に難く有りません。(7倍のヘッツァーを動かす余裕があったかどうかは別ですが)

・NSU Springer SdKfz304

なにこれ、スプリンガー自走爆弾ですって。主な用途は地雷原処理とハードターゲットの破壊で、ケッテンクラート ハーフトラックの廃材を利用しました。まず、ドライバーが標的の近くまで接近し、降車した後にラジオコントロール制御にさらに接近。自爆しました。
弾頭は330kg高性能爆薬。ドイツ空軍のSC500 500kg通常爆弾の炸薬量は220kgですから、かなり強力です。
ゴリアテを代替する目的で開発されましたが、この手の兵器はあまり効果的ではなく、44年10月から45年2月にかけて50両しか生産されませんでした。

・SdKfz234/3 Schwerer Panzerspahwagen

SdKfz234シリーズのうち、短砲身7.5cm砲装備の火力支援装輪装甲車。44年6月から12月にかけ88輌生産されました。
本車両は戦後、完全な状態で英軍が接収したものです。

・Hanomag SdKfz251/8 Ausf C Mittlerer Krankenpanzerwagen

SdKfz251はドイツ軍機械化部隊の標準的な兵員輸送ハーフトラックです。メーカーの名をとってハノマークと呼ばれる事が多かったようです。Hanomag社とBussing-NAG社の二社でドイツ全軍の兵員輸送装軌車両の実に2/3あまりが生産されました。
本車両SdKfz251/8 C型は装甲救急車でしたが、赤十字から鉄十字に塗り替えられ、フランス侵攻時における兵員輸送車として展示されています。
クランケンパンツァーヴァーゲンって、お医者さんのドラマとかで患者を「クランケ」って呼ぶ、あの「クランケ」ですか。

・Panzerkampfwagen VI Ausf F ”Panther”

パンターF型で、通称シュマルトゥルム(Schmalturm)と呼ばれた砲塔装甲の補強と被弾面積の減少、そして軽量化を目的とした小型砲塔。装甲厚こそ増えましたが、軽量化には至らなかった上に十分な室内スペースが無くお世辞にも快適とはいえなかったようです。主砲は75mm KwK 42ですが(ぶったぎられてます)、88mm KwK 43に換装する計画もあったようです。生産されたのは僅かに砲塔2台のみ。戦後に接収した英軍が、ソールズベリー演習場(演習場のわきを通りました。戦車注意の標識有り)において砲兵訓練の標的として使用したためボッコボコになってしまっています。


ストゥームティーガーの38cm臼砲。車体は無し。
●日本・イタリア・ソビエト軍の戦車

・L3/33 Carro Veloce

L3/33 カルロ ベローチェは第二次大戦勃発前のイタリア軍主力戦車(笑)。イタリア本土自体は山がちな地形ですから、元々あまり戦車の開発には力が入っていなかったとか。
愛称はタンケッテ(Tankette)、日本語で言うところの戦車たん?と呼ばれ愛でられました(?) ショボイように感じるのはドイツ軍のバケモノパンツァー見た後だからという訳ではなく、実際とても小さいです。本車両は世界初の火炎放射戦車タイプで、リアカーに放射用の燃料が搭載されました。
最初の実戦は1935年イタリア・エチオピア戦争で、第二次大戦における対英戦でも最後まで戦い抜きました。

・M14/41

リベットだらけで、どこか日本の戦車のようです。
看板にはM13/40とありますが、最近になってエンジン、フィルター等を改良・増設したM14/41であると判明しました。
陸オタ:「M13/40極初期型はフルフェンダー、中後期はハーフフェンダー、M14/41はちょい長めのフェンダーにグリルが横!(初期は縦)!はい、テストにでるよー^^」すみません、わかりません(><;)
本車両は走行中キャタピラが外れるトラブルが多発し、イタリア軍兵士の頭を悩ませました。イタリア降伏後、多くの車両がドイツに接収・運用されましたが、ドイツ人は起動輪に爪を増設。問題はきれいさっぱり解決してしまいました。イタリアは根本を解決する努力を怠ったようです。

・九五式軽戦車 ハ号

なんか日本っぽいやわそうな戦車発見。で、正面に回ってみたらやっぱり日の丸が(ノ∀`)アー
って、軽戦車だから仕方ありませんよね。同世代の1号戦車や2号戦車である事を考えれば十分です。なによりタンケッテよりマシです。
下を見て安心するようじゃ終わりですね(ノ∀;)アー


・KV-1B

37mmドアノッカーや、4号戦車の24口径7.5cm砲では撃破不可能。唯一撃破可能だったのは8.8cm FLAKのみと、やたらと硬かった事で有名な「街道の怪物」KV-1。なんかKV-1とT-34って似てますよね。
車体には「ザ レニングラード! (レニングラードのために)」「レニングラードスキー ジェンシニィ フロンツ (レニングラードなんとか方面軍)」って書いてあります。たぶん。
本車両はソビエト兵器産業のシベリア疎開後に、タンコグラード(戦車の街)ことチェリャビンスクで1943年に製造され、イギリスの陸軍戦車技術学校(School of Tank Technology)に提出、評価された後にボービントン戦車博物館に寄付されました。ハリケーンなどの供与を受けた返礼でしょうか。戦時中はまだ英ソは仲が良かったですから。

・SU-76M

SU-76Mは世界で最も誉れ高いソ連製76.2mm野砲を搭載した自走砲。
本車両は1950年、北朝鮮に供与されたもので、朝鮮戦争において英軍が捕獲しました。

・T-26

T-26は、イギリスのビッカース・アームストロング Mark.E戦車をソビエトがコピーしたものです。
本車両はフィンランド軍のスワスチカが描かれており、冬戦争中フィンランドに捕獲されたものを再現しています。
マンネンヘイムラインにおいてエンジンを外した上で埋設(もちろんエンジンは再利用する)し、固定砲台化するなどされたようです。
出自についての記載は有りませんでした。

・T-34/85-11

T-34は、もう両手の指で数え切れないほど見てきました。
本車両は中共の人民解放軍の車両で、朝鮮戦争時に捕獲されました。

●イギリス軍の戦車

・Guy Mk.1

-ゆりあんさんの解説-
英国初の全溶接構造装甲車。総生産数は101両(Mk.I、Mk.IA)大戦初期にはフランス戦線などで少数が使用された。

・Cruiser Mk.1 (A9)

巡航戦車Mk.Iは初の巡航戦車。
-ゆりあんさんの解説-
当初予定していたロールス・ロイス製エンジンが使えなくなり、市販のバス用エンジンを流用するハメになった。125両生産され、フランス戦や北アフリカ戦の初期に使用。

・Cruiser Mk.2 A10

-ゆりあんさんの解説-
巡航戦車Mk.IIは最大装甲厚が14mmから30mmに強化され、車体全部の小砲塔も廃止されてるが、足まわりやエンジン、車体の基本的な作りは変わらず。
-コブラっちさんの解説-
MkTの装甲強化型。邪魔な銃塔を廃止したり、リベットで装甲板を追加してみたりして、装甲が倍近く(14mm→30mm)増えた。でも中身は一緒なモンだから、どうにも馬力が足りない。速度も出なけりゃ、機動性も駄目とテストでも現場でも散々言われた。
でも、当時の英国は戦車が一台でも欲しいからと175両が作られ、フランス、ギリシャ、北アフリカの緒戦を戦っている。
で、この子は3.7インチ榴弾砲を搭載したCS(近接戦闘)型。

・Cruiser Mk.4

-ゆりあんさんの解説-
巡航戦車のうち初めて砲塔側面部の装甲を「く」の字型にし、いわゆるスペースド・アーマーとした。
-コブラっちさんの解説-
MkV巡航戦車(A13)の装甲が余りに薄すぎる(装甲厚13mm)として増加装甲として中空装甲を取り付けた戦車。仏蘭西戦や初期の北アフリカ戦線で英軍の軍馬としてよく働いた。でも搭載砲が2ポンド砲だったり、厚くはしたけどやっぱり薄いその装甲(装甲厚30mm)で後半は結構苦労した。665台が製造された。この子は遠目から見ると、クルセイダーによく似てるけど、この子は少し小さい。ちっちゃな兄貴と言った感じかな。

・Cruiser Mk.5

-ゆりあんさんの解説-
巡航戦車Mk.V カビナンター エンジンの冷却能力不足のために失敗作。なのに1,771両も生産してしまい、大多数が本土での訓練用となった

・Cruiser Mk.6 Crusader Mk.2

巡航戦車MkVI クルセイダー Mk2とか名前がわかりにくい。
-ゆりあんさんの解説-
カビナンターを拡大改修し、もちろんエンジンも変えたが、やっぱりオーバーヒートしやすかったとのこと。チュニジア戦まで第一線で使われ、それ以後は特殊車両のベースや訓練用に

・Sentinel

センチネルはオーストラリア初の国産戦車。
-ゆりあんさんの解説-
機関系はM3中戦車を、車体と砲塔はイギリスの戦車を参考にした。最大装甲厚65mm、画像のは2ポンド砲装備だけど、後に17ポンド砲も装備したタイプも試作された。
諸問題があったのと、アメリカからM4が供与されたため43年7月に生産中止、訓練用にしか使用されず。オーストラリア国産戦闘機のブーメランは零戦や隼に抗い難かったけど、センチネルは十分、日本戦車に対抗できた(勝った?)ろうな.

・RAM Mk.2

-ゆりあんさんの解説-
巡航戦車ラム。M3中戦車の車体をベースにカナダが開発。6ポンド砲を搭載する計画だったが、イギリスが巡航戦車は2ポンド砲を装備すべしとして、6ポンド砲の輸出をストップ。でやむを得ず2ポンド砲を装備して完成。
しかし、6ポンド砲が供給されるようになったら換装できるよう、前面装甲板をボルト止めにし、装甲板ごと6ポンド砲に換装できるようにした。写真は6ポンド砲を搭載したラムII。1943年7月までに1094両完成したが、実戦には参加せず訓練にのみ使用。

・Ram Kangaroo
(Photo:ゆりあんさん)
-ゆりあんさんの解説-
ラム・カンガルー イギリス軍は損傷した戦車の車体を使って歩兵や物資の輸送に転用したものを「カンガルー」と呼んでいたが、巡航戦車ラムの車体をベースに最初から砲塔をはずしたものがラム・カンガルー装甲兵員輸送車。近年、ロシアやイスラエルが製作した戦車の車体を流用した重装甲兵員輸送車のはしりとも言えるが、オープン・トップ式なので上から撃たれると弱い

・Cromwell

クロムウェルって護国卿の?
-ゆりあんさんの解説-
ヴィレル・ボカージュの戦いでミヒャエル・ヴィットマンにボコられた印象が強い(実際の戦果は戦車12輌(クロムウェル5輌、スチュアート3輌、シャーマン4輌)、ハーフトラック10台、カーデン・ロイド・キャリア4輌、スカウトカー1台)
-コブラっちさんの解説-
スピットファイアのマーリンエンジンの陸上型ミーティアを搭載して、やたら早くなった巡航戦車(最大速度時速64km)。最大装甲は76mm〜101mm。ヴィレルボカージュのお陰でやられメカの印象は強いが、之だってなかなかの戦車。あえて言うなら、英国版シャーマンと言った所(ほ…誉め言葉だよ?)兄弟にキャバリエとセントーという戦車が居る。
あと、朝鮮戦争で偵察小隊のクロムウェルが中国軍に鹵獲されてセンチュリオンと撃ち合いになってたりする。あと第一次中東戦争にもいたり。

・Valentine

-ゆりあんさんの解説-
イギリスで生産された6855両のうち、約2400両がソ連に送られました。というか、ソ連に供給するためだけに、生産ラインを維持し続けた。
-コブラっちさんの解説-
イギリス軍の北アフリカ戦線での主力歩兵戦車。安いので英国で一番作られた。
元は巡航戦車Mk.U(A10)だけど、歩兵戦車にするからってんで色々弄くり回したら大分、変わってしまった。所謂、魔改造?一応、歩兵戦車だから装甲は厚めだけど、先発のマチルダUよりも装甲は薄かったりするし、最大速度も大して変わらない。でも、既存の設計の流用だからコストは安く済むし、北アフリカだろうがジャングルだろうが、東部戦線でも問題なく動く程信頼性が高いから±ゼロ?
そして、例によってこれも弱くて榴弾が撃てない2ポンド砲でやっぱり苦労したらしい。何とか6ポンド砲や75mm砲を積んでもみたけど、色々便利なシャーマンやらチャーチルが出てきたら、小さいモンだから発展性もあんまり無いので、さっさと乗り換えちゃった。だから、かなり陰が薄い子。でも砂漠でも問題なく動いてくれるから、北アフリカの英軍の縁の下の力持ち的な戦車だった。
ソビエトにも英国やカナダで一杯作ったバレンタインが大量に押しつけ輸出されたけど、ソ連のおばちゃん達が作ったT-34よりもよっぽど扱いやすかったんで「最優秀レンドリース戦車」何て言われてかなり好かれたらしい。2ポンド砲は問題にはなったけど、何だかんだ最期の方の関東軍との戦いまで大切に使われたらしい。一杯あるしね。

・Valentine Archer

-ゆりあんさんの解説-
バレンタインの車体に17ポンド砲を搭載したアーチャー。
エンジンを前方に移すさず、砲を車体後方に向けて搭載(写真も後ろ向き)。1発撃ったら逃げる待ち伏せ攻撃に最適、と思いきや、戦闘室が狭く、射撃中は砲の後座から身を守るため、操縦主は操縦席から離れていなければならなかったとのこと。

・A38 Valiant

-ゆりあんさんの解説-
ヴァリアント バレンタインをベースに装甲強化を図った(最大装甲厚65mm→114mm)が、路上最大速度19km/hのうえ、操縦性もダメダメ(ステアリング・レバーが極めて重い上、フットブレーキの操作には操縦手が負傷する危険が伴い、ギアの操作性も危なっかしいとのこと)なため不採用。展示されているのは軟鋼製の試作車

・Matilda I

-ゆりあんさんの解説-
歩兵戦車第一号。その名のとおり、歩兵に随伴できりゃいいやとばかり、路上最大速度13km/h、武装は7.7mm機銃1丁のみ。まさに敵機関銃座を踏み潰すためだけの戦車と言える。
-コブラっちさんの解説-
機関銃7,.7mmで塹壕を突破する歩兵を支援する為“だけ”の戦車。まさに歩兵戦車そのものだった。でも、やっぱり機関銃が一挺だけってのも当時から批判があったらしい。で、時は1940年5月19日、場所はフランス、アラスの戦いに少数のマチルダIIと一緒に投入されてみたけど、前面装甲が65mmも有る物だから堅いのなんの!3.7cm対戦車砲どころか、四号戦車の24口径7.5cm戦車砲でも打ち抜けないモンだから独軍びっくり、一気に恐怖のどん底に突き落とした。まぁ、結局武装が機関銃一機じゃ何にも出来無いから、すぐにロンメルが8.8cm持ち出して撃退しちゃうんだけど。
結局、フランス戦の後はマチルダUにその座を譲って訓練戦車として余生を過ごしたそうだ。んで、その二代目もアフリカである種の伝説を作った事はまた別の話…

・Matilda II

堅いよ!堅いよ!マチルダさん!><
-ゆりあんさんの解説-
マチルダIの発展型というより別車両。装甲も速度も武装も超強化。でも主砲である2ポンド砲が榴弾が発射できないとほほ仕様のため88相手に苦戦することとに。オーストラリア軍により投入された太平洋戦線ではロクな対戦車砲を日本軍が持っていなかったため超無敵!

・Matilda CDL

Canal Defense Light すなわち海峡防衛灯。砲塔がサーチライトに換装されたタイプ

・Churchill Mk.VII

堅い。堅いよチャーチルさん!
-ゆりあんさんの解説-
時の首相が、「A22歩兵戦車は他の戦車に比べて性能が優秀であるから、生産を最優先せよ」と指示したことにちなんで愛称がつけられた。超壕性の要求のせいで全長が長い。外にあったのはMk.Iで、砲塔に2ポンド戦車砲、車体に3インチ榴弾砲を装備。火炎放射戦車クロコダイルなど、多くの特殊車両のベースになった
-コブラっちさんの解説-
チャーチルの砲塔を新型砲塔(75mm戦車砲搭載)にし、各所に手入れをした後期型。
この75mm戦車砲はNA75なんかと一緒で榴弾が使えるから嬉しい。しかも、最大装甲厚が152mmに成ったモンだから、そんじょそこらのクラウツにゃ手も足も出ないって寸法だ。でも、その分おデブちゃんになっちゃったから、最大速度が時速約20kmになっちゃったけど、まぁ良いか。歩兵戦車だし。あ、ちなみに朝鮮戦争にも従軍してそれなりに活躍していた様だ。

・Churchill Mk.3 AVER

-コブラっちさんの解説-
チャーチルの戦闘工兵仕様車。(無駄に!)堅くて、(無駄に!)機動性に優れ、さらには(無駄に!)車体に余裕があるチャーチルに邪魔な対戦車障害やらトーチカなどを破壊するために290mm臼砲を搭載。あと、あると何かと便利な各種工兵機材搭載用のアタッチメントを装備した。
ディエップでフルボッコにされた英国軍の答えが此所に!
でも、ノルマンディーよりもクロコダイル何かと一緒にイタリア戦線の方で活躍した。
ちなみにAVREはAssault Vehicle Royal Engineers、要するに王立工兵突撃車の意味。

・Black Prince

ブラックプリンス。
-ゆりあんさんの解説-
チャーチルをベースに17ポンド砲積み、車幅広げ、装甲増やし、転輪も片側1個ずつ増やした結果、最大速度が18kmになってしまい、同じ17ポンド砲搭載ならセンチュリオンのほうがよっぽどマシ、ってんでボツ。

・Tog II

でっけええ!!!!!
何これ。マジ何これ。何考えてこんな巨大なのつくったのさ。日本人のほぼ平均身長の相棒がまるで子供です。
重量80tとか。普通にバカ戦車。
-ゆりあんさんの解説-
TOGとはThe Old Gangの略。第一次世界大戦時に菱形戦車を設計した技術者達が設計。
17ポンド砲を搭載。菱形戦車をもう一度作りたかったのか、確かに何考えてんのか分かりません。要は老害戦車。

・Tortoise

トータス。亀さん。イギリスのマウス超重戦車。前面装甲225mm!
-ゆりあんさんの解説-
敵の高性能な対戦車砲の砲撃に耐え、敵の重戦車を苦もなく撃破するために開発(対ケーニヒッス・ティーガー?)。
32ポンド(94mm)砲を搭載したが、79tという自重に対し600馬力(クロムウェルと同じ!)では・・・。もちろん試作どまり。

M3 Grant

-ゆりあんさんの解説-
アメリカ製M3中戦車のうち、砲塔に無線機を装備し大型化した英軍仕様のものがグラント。
徹甲弾しか使用できない戦車砲を装備していたイギリス製戦車と異なり、対戦車砲に対し有効な榴弾を発射できるM3は、北アフリカの砂漠で同軍の主力戦車として活躍した。
これってリーではなくグラントだし見た目も明らかに英軍なのに看板はなぜか星条旗。

・Firefly

ファイアフライ。虎の正面をも貫く17パウンダー!
-ゆりあんさんの解説-
イギリスは既存の車体への17ポンド砲搭載をいくつも試みたが、一番うまくいったのが自国製ではないシャーマンへの搭載だった。ヴィットマンのティーガーを最後に撃破したのもこれである。無線機を砲塔後ろの収納箱兼カウンター・ウェイトに移し、搭載弾薬数を増やすため、車体機銃を撤去した。ドイツ軍側に撃破すべき最優先目標と定められたとこに、本車のパンチ力の高さが物語られている

・Light tank Mk.7 Tetrarch

GAL49ハミルカー 輸送グライダーに搭載された状態で展示されているテトラーク空挺戦車。
-ゆりあんさんの解説-
緩旋回時には転輪の向きを変えることで、履帯をよじらせて行うところがユニーク。

・Comet

コメット。
-ゆりあんさんの解説-
クロムウェルのコンポーネントを流用した車体に17ポンド砲の砲身を短くした77mm戦車砲を搭載、実戦投入は45年のライン渡河作戦が最初だったんで、ろくに実戦を経験せず。朝鮮戦争には投入された?

・ Sherman V Flail

チェーンを高速回転させ、地面をボコボコひっぱたいて地雷を除去するらしい。

・BISON

-コブラっちさんの解説-
物資がカツカツの頃の英国の急造装甲車。トラックにコンクリートの装甲を乗せただけのお手軽仕様。固定武装も特になし。
主に移動トーチカとしての用途で制作された。兄弟分に木造のアルマジロなんてのも居る。こちらは飛行場警備なんかに使われたらしい。

・Praying Mantis

二名ってあの筒の中に寝そべってるんでしょうか。
塹壕からアタマだけ出して機銃掃射するとかなんとか。

・Humber Mk.1

ハンバー装甲車。
-ゆりあんさんの解説-
ガイ装甲車を開発したガイ自動車が本業のトラックや牽引トラクターの生産にかかりきりとなったため別会社が生産することとなって車体・砲塔はそのまま流用したもの。エンジンは強化され、最高速度72km/hとなった


・Daimler Dingo

-ゆりあんさんの解説-
ダイムラー・スカウトカー 「ディンゴ」は愛称。
2人乗りの装甲偵察車で、見かけによらず車体前面装甲が30mmもある。ちなみにチハは最大装甲厚25mm・・・。


・Lanchester

-ゆりあんさんの解説-
ランチェスター装甲車はランチェスター社が1914年に開発した装甲車。7.7mmヴィカーズ水冷重機関銃を連装。
・Daimler

ダイムラー装甲車と、会社名そのまんまな名称。
-ゆりあんさんの解説-
従来の装甲車が武装が貧弱だったので、2ポンド(40mm)砲を搭載。39年に試作車が完成したが、息の長い車両で、65年まで使用され続けた。


・Carden Loyd tankette

カーデン・ロイド豆戦車。
-ゆりあんさんの解説-
世界的ベストセラー(400両以上輸出)となった豆戦車。また、各国でこれを基に独自に装甲車両が開発され、日本の94式軽装甲車もその一つ。
カーデンロイドは世界中に豆戦車ムーブメント巻き起こし、日本も採用しちゃってたり。CV33やらルノーUEもこの系列の全ての母と言っても良いそれはそれは凄い物なのです。ちなみに元々は英少佐が自宅の車庫で廃品やらでスクラッチしたなにそのメタルマックスな戦車。

・Universal Carrier

-ゆりあんさんの解説-
ユニバーサル・キャリアは偵察や火砲牽引、機銃搭載車を1車種でまかなえるように開発され、大戦中に65,000両も生産された

・マーモン・ハリントンMark .IV 

-コブラっちさんの解説-
フォード3トントラックのシャーシを使って作った装甲車。設計はマーモン・ハリントン。ローカストを初めとして変態個性的な車両を沢山制作してきたメーカーだ。(参考:<http://www.overvalwagen.com/tanks.html>)
で、南アフリカの自国産業の育成やら何やらで、英国やらカナダ、米国なんかで製作された部品を合わせてノックダウン生産してた。これは2ポンド砲を搭載した型。
この系列の装甲車は5800弱も生産されて、南アフリカ軍のみならず、イギリス軍やその他英連邦軍や自由フランス軍など色々使われて、時には鹵獲されて、日の丸やらバルケンクロイツが付いたりもしてる。あと、第一次中東戦争じゃアラブ軍団が使ってた。

・Marmon

-コブラっちさんの解説-
マーモン・ハリントンMk .VI 八輪偵察車
ドイツ軍の砂漠をぐんぐん走るSdKfz.231偵察車などを見た南アフリカ軍が「アレ、良〜なぁ。ウチでも作るべ」と41年から開発を開始した八輪の偵察車。設計は例によってモーマン・ハリントンに頼んでみた。で、とりあえず2ポンド砲搭載の試作車を作ったのは良いけど、足回りが複雑なモンで色々と問題が出てきて結局物になるまで43年8月までかかった。その頃にはもう6ポンド砲を搭載した試作車が製作されたけど、もう他に貰い物の装甲車なんかがそれなりに有るし、どうやらもう必要なさそうだという事でキャンセルされた。これは6ポンド砲を積んだタイプ。装甲厚は10-30mm程度だったとの事。
八輪と良い、6ポンド対戦車砲(50mm戦車砲相当)を積んでたりする辺り、アメリカ人が作ったSd.Kfz. 234/2 みたいな偵察車。いや、むしろロイカットのご先祖様なのかもしれない。


・Light Tank Mk.III HARRY HOPKINS

-ゆりあんさんの解説-
ハリー・ホプキンス テトラークの後継で92両生産されたが、軽戦車がイギリス陸軍の装備構想から外されたために、配備されず

・Convetry

-ゆりあんさんの解説-
コヴェントリー装甲車。大戦中に多種多様な装甲車を一本化するために開発。1,600両が発注されたが、終戦のため大半の生産はキャンセル


Medium tank Mk.2

-ゆりあんさんの解説-
中戦車Mk.II 大戦間に開発され、3ポンド(47mm)砲搭載、当時としては快速の29km/hを出すことができた。第2次世界大戦直前の1939年まで使用が続けられた

・Crosray

-ゆりあんさんの解説-
クロスレイ装甲車 WWIにおいてイギリス海軍が飛行場の警備用に開発(軍艦からはずした水冷式機銃を装備)。戦後、イギリス海軍は装甲車の保有をやめたが、これに日本海軍が目をつけ10両輸入、上海事変で海軍陸戦隊が使用し、多勢の中国軍を食い止めるのに貢献した

・Shaman DD

シャーマンDDははDuplex Drive(複合駆動)の略。
-ゆりあんさんの解説-
防水布製のスクリーン型浮航装置と1対のプロペラを取り付け、上陸作戦時に自力で海岸に到達できるよう開発された。
「血のオマハ」ことオマハ・ビーチでは海上を発進させた29両のうち27両が沈没という大損害を出している。水の上で鉄の箱に入っている乗員の気持ちはいかがなものだったやら・・・


(´∇`)??

・セントードーザー

-ゆりあんさんの解説-
 巡航戦車セントーを改造しドーザープレートを付けたもの。見たまんまである


・Morris
(Photo:ゆりあんさん)
-ゆりあんさんの解説-
モーリス軽偵察車 3名の乗員が並んで座るという特異な構造。中央にドライバー。その右側の乗員がブレン軽機関銃を操作。左側の乗員は無線とハッチの外に設けられたボーイズ対戦車ライフルを担当。書いてて映画「モ−リス」を思い出す


・AEC装甲車
(Photo:ゆりあんさん)
-ゆりあんさんの解説-
AEC装甲車 Mk.Iは2ポンド砲搭載だったが、写真のMk.IIは6ポンド砲を搭載、Mk.IIIだと75mm砲を搭載し、最大装甲厚も30mm(砲塔前面は57mm)あったため、他の軽装甲車の支援役として活躍した。なぜか砲塔の中心線上には機銃を装備し、主砲はその横である。本車の任務上、機銃を使うことの方が多いからなのかな

・Centaur anti aircraft tank

-ゆりあんさんの解説-
ポールステン20mm連装機関砲(エリコンの20mmを基にポーランド人技術者が製作したもの)の砲塔を巡航戦車セントーを改造し搭載。同じようなクルセイダー対空戦車と違い、実戦参加せず。



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MASDF




・Light tank M

(>_<)