サウジアラビア王室空軍(RSAF)

■アメリカ合衆国空軍(USAF)/州兵空軍(ANG)

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【ピースサン サウジアラビアのイーグル】



Royal Saudi Air Force(RSAF)サウジアラビア王室空軍は数少ないF-15配備国の一つであり、同国へのF-15イーグル有償軍事援助(FMS)計画はPeace Sun(ピースサン)と呼ばれる。

34機が調達された英国BAeライトニングの後継機として1970年代後半より次期戦闘機の選定作業が始まり、対抗馬であったシュペルミラージュ4000との審査が行われ、その結果47機のF-15CおよびF-15Dの調達契約が結ばれた。生産はすべてマクダネルダグラスによって行われ、1980年に最初の“Peace Sun I”イーグルがFMS経由でサウジアラビアに引き渡された。1981年8月には初期作戦能力を獲得し、サウジアラビアの防空の任務に着いた。
なお、サウジアラビアへのイーグルの輸出に関してイスラエルと米国内のユダヤ人ロビイストによる抗議行動が行われており、輸出の条件として今後サウジアラビアが追加発注を希望しても60機までに制限する事が決まった。60機の制限はすぐに緩和され最終的には62機のF-15C/Dが調達されたが、コンフォーマルタンク(FASTパック)の輸出に数的な制限が設けられた。

1991年には湾岸危機において自国内の航空基地を提供する見返りとしてF-15Eストライクイーグルの購入を希望したが、米国は極めて強力な対地攻撃能力を持つ同機の輸出にはイスラエルやユダヤ人勢力の配慮の面から消極的であった。米国はほとんどF-15C同等まで大幅に空対地性能を制限したF-15XPの輸出が提案したがサウジアラビアは拒否。
サウジアラビアは代替案として構想されていた単座のストライクイーグルF-15Fを希望するが、最終的にはF-15Eの対地攻撃能力を縮小したF-15Sの輸出が1993年に認められた。“Peace Sun IX”である。なお、全機がコンフォーマルタンクを装備している。
F-15SはAN/APG-70レーダーは合成開口レーダーモードを持たず、LANTIRNもオリジナルのAN/AAQ-13 AN/AAQ-14 からダウングレードが施されたAN/AAQ-19ターゲティングポッド及びAN/AAQ-20ナビゲーションポッドを装備し、空対地能力が大きく削減されているが、2000ポンド級のGBU-15 TV誘導爆弾の輸出も同時に行われ他のマルチロール機以上の精密攻撃能力は持っている。
1995年に最初のF-15Sが引き渡され、1999年までに72機が生産さ、サウジアラビアへのイーグル輸出の総数は134機に達した。
サウジアラビアはE-3セントリーAWACSも保有しており、イスラエルと並ぶ中東の最高の空軍であることに疑いの余地は無い。

【F-4ファントムとの交戦〜湾岸戦争】

サウジアラビア王室空軍の保有するイーグルの最初の戦果は1984年6月5日である。
サウジアラビアとイランによる地下資源をめぐる紛争において、イランは2機のF-4EファントムIIを出撃させ牽制を行った。これに対しサウジアラビア王室空軍は2機のF-15D及びF-15Cを迎撃にまわし、マクダネルダグラス製戦闘機同士の珍しい戦闘が行われた。結果は言うまでもなくF-15C/Dの勝利に終わり、AIM-7FスパローによりF-4Eを2機撃墜した。

続き1990年-91年の湾岸危機においては多国籍軍の一員として王室空軍のF-15Cは戦闘空中哨戒を実施した。
1991年1月17日、イラク軍をクウェートから撤退させるべく砂漠の嵐作戦が発動。7月19日、早期警戒機の指示を受けた王室空軍のイーグルはペルシャ湾海岸線を飛行する2機ミラージュF1(おそらくエグゾセを搭載した空対艦任務機)と交戦。
被発見を避けるため自らはレーダー波を発することなく警戒機の誘導をうけミラージュF1の右翼側方、低高度から奇襲し、ミラージュF1が防御に入る前にAIM-9Lサイドワインダーにより2機を撃墜した。湾岸戦争に於ける、アメリカ軍以外で唯一の空対空撃墜記録であった。

湾岸戦争については合衆国空軍(USAF)/州兵空軍(ANG)項でさらに記述する。


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