戦闘機基地訴訟
について考える。その3


今回は、第三七回、第三八回の続きになります。まず前回から読んでください。

三八回で、いずれ返信があれば掲載するかもしれないと述べました。それからおよそ1年と半年、長いスパンが何度も空きはしましたが、ようやく「彼ら」とのやり取りが終結しました。そこでやり取りされたメールを公開します。

まず、最初は「彼ら」から頂いた前回の返信についてです。
・以下No!AWACSの会代表者の意見。

まず、広報館についてです。
広報館を戦争賛美だという私の意見についてですが、兵器はそもそも何のために作ら
れていくのかということです。日本にある兵器と他の国にある兵器に違いがあると思
いますか?性能という意味ではなくて、兵器そのものについてです。兵器は人を殺し
ます。日本の兵器は専守防衛のためにあるのだからということではありません。どこ
の国のものであっても、だれが持とうともそれは人の命を奪います。生存権、生活権
を奪います。広報館に行ったことがありますか?その兵器がすばらしいものとして展
示されています。兵器や軍事によって、世界は平和をつくることができるわけではあ
りません。そもそもそれで平和はもたらされないということは、今の時代だれもが
知っている事でしょう?武力は平和とはなんの関係もない、暴力や武力行使はさらな
ら暴力や武力行使を呼ぶだけです。そうではない、方法を私たちは考えなくてはいけ
ないと思うのです。
兵器そのものが私たちが平和に生きることに必要はないようにしたいというのが私た
ちの主張です。
NO!浜松城のことですが、浜松城や三方が原の合戦の時代を私たちは経験していませ
んし、今がその時代出ないことは事実です。しかし、その時代人を殺すために使われ
た道具としての火縄銃や刀剣があることも事実です。それが人を殺すためのものであ
り、これは素敵なものだという宣伝がされていればそれは、批難されるべきだと思い
ます。歴史については、それを学び、人を殺して自分を高めるということは絶対に繰
り返されてはならないと考えています。浜松市に対しても、
浜松城を壊せということ
はいっていませんが、兵器展示の全てに対して、私たちは平和的生存権の立場から反
対であることは主張しています。
(言ってないのに主張してるという矛盾)
そうした意味でも、レーダーサイトについては反対です。私の意見で書いたAWACSは
単なるレーダサイトではない。というのは、AWACSもレーダーサイトも一緒という意
見に対してです。固定式のレーダーサイトより実践的であるAWACSという書き方をし
ていると思いますが。決して、レーダーサイトはいいけど、AWACSはダメということ
は考えていません。
全ての戦争の道具は歴史において、平和になんの有効な力を持た
なかった。という事実
に基づいて書いたものです。
なだしお以降の文章については、意味がよくわかりません。
軍事力のイメージアップが必要なのかどうなのかです。この事件は知っています。こ
の事件について自衛隊がイメージアップする必要はあるのですか?広報館の楽しませ
るは防衛庁側の意見ですよ。私たちが言っているわけではありません。軍事行動が楽
しい事だと思いますか?あなたがいうように、広報館は自衛隊の宣伝の場です。そこ
にいる隊員がどうのこうのということではありません。自衛隊そのもの、あるいはそ
こに展示されている軍事力そのものの宣伝の場なんです。楽しい戦闘があると考えら
れているのでしょうか?

兵器についてですが、前にも述べましたが、人を殺すために作られた兵器とそうでな
いものの違いを一緒にしても仕方がないと思います。
ただ、どんなものでも人を殺す道具になりうるのは承知しています。問題は殺すため
に作られたかどうかということではないでしょうか。どうすれば人を殺す道具に変わ
るかという論とは筋が違うと思いますが。
インターネットについても承知しています。理解しているかどうか、難しい事はわか
りませんが、こうしたことが書かれていることは読んだ事があります。それでも何故
使うかといわれれば、前に述べた理由と同じです。それが通信途絶を防ぐために出来
たものとはいえ、兵器・武器とは違い、私たちの使い方いかんでは、平和利用ができ
ると思うからです。できればこれを平和をねがう市民のためにだけ使うということに
なれば最高ですけどね。兵器・武器というたぐいがそうならないことは先に述べたと
おりです。

程度の低いといわれればそれまでですが、私たちは国家を創ろうとしているわけでは
ありません。あなたの理論というのもわかりませんが、もし汚い言葉を使ったり、わ
かりずらい言葉を使ったりしているのであれば、それは私たちの表現がおかしいとい
われても仕方がないと思いますし、今後治していきたいと思います。ただ、理論に基
づいたというのはどの理論をさすのか、私たちは日常の生活のなかで平和を求めると
いう視点で反戦・平和を訴えています。表現方法はさまざまあるでしょうが、私たち
自身私たちの運動がもっとも正しいとおもっているわけではありません。新しい、そ
して平和の実現のために有効な表現方法を毎日見つけたいとおもっていますし、ぜひ
その点は提起していただけると大変ありがたく思います。

まことにもうしわけありませんが、最後の具体案はありません。兵器や軍隊のない社
会ではなく、兵器や軍隊では争いは起こせても平和は創れないということだけは、本
当に明らかになりましたよね。2001年の9.11の無差別テロ以降しっかり世界の多
くの人がそれだけはわかったため、戦争反対のおおきなうねりが出来たのだと思いま
す。しかし、いまだに兵器や軍隊はありますし、争いも続いています。残念な事に。
具体案がないというのは、正確には間違いですが、
具体案は兵器も軍隊も捨てよう。
です。

代案はそこにあるんです。ただ、それを実行できないだけです。誰が実行しましょ
う。だれもが戦争がないほうがいいと思っているんじゃないですか。代案はとても明
らかじゃないんですか。どうしてできないんでしょうか。もしも伊吹さんも戦争のな
い社会をと考えていらっしゃるのであれば、
どうしてこんなはっきりした代案がある
のにできないのか、一緒に考えませんか。

全てに明確に答えられるとは思いませんが、あの文章を書いた私の意見です。
明確に納期を決めて戦争のない社会を実現するといえないのも現実です。だからと
いって、戦争のない社会のための代案がないとはいえないと思っています。
いろいろな意見で、考えの巾も広がると思います。
戦争を賛美しているとは文章から思えませんし、
ともに考えていく事が出来ると思い
ます。
今後ともよろしくお願いします。

「ともに考えていくことが出来る」と、彼らは言いました。しかし後に彼らのほうから放棄することになります。
次は、以上に対する私の意見です。


・以下私の返信
お忙しい最中とは思いますが、ご丁寧にもNoAWACSの会代表としての素早い返事、真にありがとうございます。
戦争や平和、兵器…人類有史は戦争の歴史でもあった訳ですから、最も複雑で最も難しい問題ですね。頂いたお返事から、私の意見を再度書かせていただきます。

まず、広報館関連についてです。
自衛隊という組織のイメージアップが必要あるのか?という事に対しては私は、「必要ある」と考えます。
現実にある、自衛官の方個人に対する差別はご存知でしょうか?
例えば、自衛官の子供だからという理由で教師に「お前は憲法違反の子だから教育を受ける権利は無い」などと言った教師がいたそうです。
また、私の知る自衛官の夫妻についてですが、急に産気づいて産婦人科に駆け込んだ所、夫側が自衛官だという理由で診察を拒否されました。こんな事例は腐るほどあります。
自衛隊の定員は27万人で、若干の定員割れをおこしてはいますが、27万の個人とその家族が職を理由に人権の侵害を受けて良いものでしょうか?

2年ほど前になりますが、私は広報館へ足を運んだことがあります。そこには多数の戦闘機やミサイル、爆弾、機関砲の性能や、防空システム、組織図、任務、最新技術などが展示してあったと記憶しています。

AWACSの会では、AWACSや浜松基地の騒音問題だけではなく、武力に対する安全保障が自らも武力を持つという事しか方法が無いという状態が大問題であると主張していると私は認識しています(騒音問題については、ここでは一切触れられていないので取り上げません)。
しかし、その武力に対して武力を持つしか無い状態が現実問題である以上、兵器の性能や自国の国防に関する知識を深める事も、平和を求める上では必要条件ではないでしょうか?
私は、なぜ平和を叫ぶあなたがたが、自国の防衛状況を知る施設が出来たことを有意義に利用しないのか全く理解ができません。むしろ今まで無かった日本の国防を知るチャンスが出来たわけですのに。

さらに、去年とある新聞社の記事で、自衛隊がクラスター爆弾を隠し持っていたと記事に書いた事件を、ご記憶でしょうか。少なくとも私が足を運んだ2001年にはCBU-87クラスター爆弾が説明付きで展示されておりました。写真で撮影したので間違いはありません。それなのに、このような事実誤認が日本有数の新聞の記事に堂々と載せられている状態であるのに、それでも広報は必要ないと言えるのか。否。私はそうは思いません。

平和を知るためには軍事を知らなければなりません。軍事を知らずして平和は語れません。そのわが国の軍事を紹介する広報館が、なぜ戦争賛美なのかが全くわからないのです。
ところで、ブルーインパルスを最初から最後まで見たことはありますでしょうか。恐らく浜松基地での航空ショーではAWACS反対運動を行うため、基地内に入らないとは思いますが、ブルーインパルスの演技が終わり、着陸するころのアナウンスで以下のような一文が必ずあります。

「私達航空自衛隊は日本の空の安全を守り-(略)-日本の平和を願ってやまないものたちなのです。」

このようなに明言していても、それでも戦争賛美なのでしょうか…
「おれたち飛べるぜ。さあみろよ」などとはもちろん一言も言っておりません。

浜松ではブルーインパルスが墜落したことにより、反発感情があることは理解できます。でも、今年の航空祭では一度、最初から最後まで見て、そして聞いてみるのも、反対するからには義務だと私は考えます。

兵器についてですが、「兵器や軍事によって、世界は平和をつくることができるわけではありません。」という意見については賛成です。しかし、兵器なしで平和が訪れるかと言うとそれはどうでしょうか。
仮に自衛隊が解散したところで平和は訪れません。むしろ日本に敵意を剥き出しにしている国がどういう行動に移すかが簡単に想像できます。それこそ日本人の人権など無いに等しい状態になるでしょう。自衛隊は武器を行使せずとも、武器を持つことにより日本を脅かす脅威から守られているのが現状です(それでも色々とやられてきましたが)。


以上を踏まえた上で、個々に逆にご質問になられた件について私なりの回答をいたします。

●広報館を戦争賛美だという私の意見についてですが、兵器はそもそも何のために作られていくのかということです。日本にある兵器と他の国にある兵器に違いがあると思いますか?性能という意味ではなくて、兵器そのものについてです。兵器は人を殺します。日本の兵器は専守防衛のためにあるのだからということではありません。どこの国のものであっても、だれが持とうともそれは人の命を奪います。生存権、生活権を奪います。広報館に行ったことがありますか?その兵器がすばらしいものとして展示されています。


■兵器が人を殺すというのは事実です。しかし人を殺すという目的のために兵器が作られたのではなく、安全を守る(平和ではありません)ために人を殺す兵器が作られたのではないでしょうか。元々、軍事力というのは犯罪者に対する防衛力として発展しました。そして、互いの利害が一致しなかった時、お互いは自分を守るために武力が行使されるのではないでしょうか。万一兵器が無くとも素手の殺し合いが起きるだけです。

現在日本で生活している限り、生存権、生活権は確保されています。もし、日本が一切武力を持たなかった場合、どうなるでしょう。もちろん、日本に敵対心を剥き出しする国もありますが、兵器を行使する連中は外国だけではなく、犯罪者や暴力団といった自国内にも多数存在します。武力を放棄したところで、それら悪漢が屯し国民の生存権、生活権などむしろ脅かされる事態になるでしょう。


●兵器や軍事によって、世界は平和をつくることができるわけではありません。そもそもそれで平和はもたらされないということは、今の時代だれもが知っている事でしょう?武力は平和とはなんの関係もない、暴力や武力行使はさらなら暴力や武力行使を呼ぶだけです。そうではない、方法を私たちは考えなくてはいけないと思うのです。
兵器そのものが私たちが平和に生きることに必要はないようにしたいというのが私た
ちの主張です。

■犯罪や紛争が起こらない世の中…理想ですね。
しかし、ただ反対反対と叫ぶ運動をしたところで、何の進展も無いと思います。もし紛争に反対する運動を行いたければ、実際に戦線に赴き、両者の間に入って仲裁してみてはいかがでしょう。

●NO!浜松城のことですが、浜松城や三方が原の合戦の時代を私たちは経験していませんし、今がその時代出ないことは事実です。しかし、その時代人を殺すために使われた道具としての火縄銃や刀剣があることも事実です。それが人を殺すためのものであり、これは素敵なものだという宣伝がされていればそれは、批難されるべきだと思います。歴史については、それを学び、人を殺して自分を高めるということは絶対に繰り返されてはならないと考えています。浜松市に対しても、浜松城を壊せということはいっていませんが、兵器展示の全てに対して、私たちは平和的生存権の立場から反対であることは主張しています。


■今がその時代ではない…それはつまり、風化した歴史なら反対する理由は無いと言うことですね。当時の最新兵器技術が、以下に素晴らしいものであったかを展示している施設や書物は山ほど存在します。むしろ、戦国時代の争いが二度と起こらないことを祈って展示している施設など皆無でしょう。
ゼロ戦の展示や、現在航空自衛隊で使われている戦闘機の展示などは、最新の航空技術と兵器技術を活かした物であるという、現在と同じ展示方法でも500年を経過すれば、あなた方の判断基準では許されるという判断ができてしまいます。



●そうした意味でも、レーダーサイトについては反対です。私の意見で書いたAWACSは単なるレーダサイトではない。というのは、AWACSもレーダーサイトも一緒という意見に対してです。固定式のレーダーサイトより実践的であるAWACSという書き方をしていると思いますが。決して、レーダーサイトはいいけど、AWACSはダメということは考えていません。全ての戦争の道具は歴史において、平和になんの有効な力を持た
なかった。という事実に基づいて書いたものです。


■そうですね、AWACSだから特別だとは思っていません、それについては私はすでにもっと言いたい事は別の場所にあるということは感じ取れますが、このような主張を反論材料として公の場(つまりウェブサイト)にて公開するということは、前面に押し出している理由としてとられます。と、述べております。もう一度読み返しをお願いします。

少なくとも60年間日本のことに限ってでも、平和が保たれてきたのは武力を所持していることによる、抑止力であるとは考えられませんでしょうか。まるで、戦前の日本のように思想統一を行い、戦争さえ辞さない国があることはご存知でしょう。
一例ですが、フィリピンでは米軍が撤退したあと、中国への抑止力が無くなったため、中国やフィリピンが領有権を主張していたスプラトリー諸島へ一方的に中国が上陸し、軍事建造物を作ったのをご存知でしょうか?
もし自衛隊が無ければ、同じ事は確実に起きます。中国は尖閣諸島のみならず、沖縄まで主張している事を忘れてはいけません。韓国は対馬、ロシアは北海道ですら主張しています。しかし、彼らは侵略はしません。何故なら日本に米軍と自衛隊という抑止力があるからです。もし、米軍も自衛隊もなければ日本という国は平和の象徴ではないどころか、国自体が存在していないでしょう。
他国の植民地などではどれだけ生存権、生活権、人権が制限されるかは想像に難くありません。
もし、これが間違っていると思えば指摘してください。



●なだしお以降の文章については、意味がよくわかりません。
軍事力のイメージアップが必要なのかどうなのかです。この事件は知っています。こ
の事件について自衛隊がイメージアップする必要はあるのですか?

■なだしお事件はご存知であると言うことですが、意味がわからないとはどういうことでしょう。イメージアップが必要な理由も既に述べていますが、隊員の募集のためと、事実無根な反対感情の抑制のためでしょう。

●広報館の楽しませるは防衛庁側の意見ですよ。私たちが言っているわけではありません。

■あたながたが言っているとは一言も書いていません。再度読み直してください。


●軍事行動が楽しい事だと思いますか?あなたがいうように、広報館は自衛隊の宣伝の場です。そこにいる隊員がどうのこうのということではありません。自衛隊そのもの、あるいはそこに展示されている軍事力そのものの宣伝の場なんです。楽しい戦闘があると考えられているのでしょうか?


■軍事行動が楽しいものではないことは確かでしょう。しかし、戦争が楽しいものではなくても、広報館で戦闘機など飛行機を趣味としている人が楽しむのとは、別問題なのでは?
既にお気づきでしょうが、私も旅客機から戦闘機まで飛行機と呼ばれる乗り物が大好きです。それが人を殺したことのある兵器であっても、戦闘機は純粋にカッコいいと思う人は極めて多いでしょう。もちろん私は、あこがれであった戦闘機に乗れるなど広報館では楽しいひと時を過ごしました。


●兵器についてですが、前にも述べましたが、人を殺すために作られた兵器とそうでないものの違いを一緒にしても仕方がないと思います。
ただ、どんなものでも人を殺す道具になりうるのは承知しています。問題は殺すために作られたかどうかということではないでしょうか。どうすれば人を殺す道具に変わるかという論とは筋が違うと思いますが。
インターネットについても承知しています。理解しているかどうか、難しい事はわかりませんが、こうしたことが書かれていることは読んだ事があります。それでも何故使うかといわれれば、前に述べた理由と同じです。それが通信途絶を防ぐために出来たものとはいえ、兵器・武器とは違い、私たちの使い方いかんでは、平和利用ができると思うからです。できればこれを平和をねがう市民のためにだけ使うということになれば最高ですけどね。兵器・武器というたぐいがそうならないことは先に述べたとおりです。



■これは順番が違いますね。シャベルやスコップはともかく、私が例にあげたインターネット、GPSなどは軍事のために作られた物です。われわれはその兵器の一部を戦争以外に利用しているに過ぎません。これは変えようの無い事実です。
貴方の使ってる端末PCは民生品であっても、インターネットそのものが情報通信の兵器であり、カーナビの端末は民生品であっても、端末へと情報を提供する人工衛星は軍事兵器です。
どちらも情報通信C3I(指揮、統制、通信、情報)の要となる兵器であるということではAWACSと同様です。
ところで、C3Iという言葉はご存知でしょうか?
もし知らなかったとしたら、AWACSと極めて関連性の高いため知識を勉強することをお勧めします。


●程度の低いといわれればそれまでですが、私たちは国家を創ろうとしているわけではありません。あなたの理論というのもわかりませんが、もし汚い言葉を使ったり、わかりずらい言葉を使ったりしているのであれば、それは私たちの表現がおかしいといわれても仕方がないと思いますし、今後治していきたいと思います。


■ちょっと私も言い過ぎである点がありますが、あなたがたのウェブページも明らかに悪意に満ちた表現が多いように思えます。いかに反対とは言え「相手」のイメージを極端に悪者にすることはやめた方がいいと存じます。
私がどうこう強制する権利はありませんが、後改善されるとのことなので期待しています。


●ただ、理論に基づいたというのはどの理論をさすのか、私たちは日常の生活のなかで平和を求めると
いう視点で反戦・平和を訴えています。表現方法はさまざまあるでしょうが、私たち自身私たちの運動がもっとも正しいとおもっているわけではありません。新しい、そして平和の実現のために有効な表現方法を毎日見つけたいとおもっていますし、ぜひその点は提起していただけると大変ありがたく思います。


■でしたら、私としての提起として、まず軍事を勉強なされては如何でしょうか。またも既に述べた事で申し訳ありませんが、ある程度軍事を知っていれば、絶対に言わないような間違いが多くあります。
何故自衛隊がAWACSを必要としたのか、これだけを調べても、ある事件が発端の一翼となっている事がわかります(クイズではないので言ってしまうと、MiG-25戦闘機函館空港亡命事件です)。

例えば、広報館批判のページ。F-2が爆弾を搭載でき、空中給油装置をもっていても、爆撃することは出来ません。それは何故かも現代の戦争のプロセスを学べばすぐに答えは出てきます。


●まことにもうしわけありませんが、最後の具体案はありません。兵器や軍隊のない社
会ではなく、兵器や軍隊では争いは起こせても平和は創れないということだけは、本
当に明らかになりましたよね。


■兵器や軍隊では争いは起こせても〜と言うのは違います。兵器が争いを起こしているのではなく、政治が争いを起こしているのです。このあたりは、クラウゼヴィッツの戦争論(あの漫画家では有りませんよ)を読んでみると分かるでしょう。


●2001年の9.11の無差別テロ以降しっかり世界の多くの人がそれだけはわかったため、戦争反対のおおきなうねりが出来たのだと思います。しかし、いまだに兵器や軍隊はありますし、争いも続いています。残念な事に。


■それは誤解です。世界的にNO-WAR!を叫んでる方達全てがNO-WEAPON!と叫んでいるのでは有りません。



●具体案がないというのは、正確には間違いですが、具体案は兵器も軍隊も捨てよう。です。代案はそこにあるんです。ただ、それを実行できないだけです。
代案はそこにあるんです。ただ、それを実行できないだけです。誰が実行しましょう。だれもが戦争がないほうがいいと思っているんじゃないですか。代案はとても明らかじゃないんですか。どうしてできないんでしょうか。もしも伊吹さんも戦争のない社会をと考えていらっしゃるのであれば、どうしてこんなはっきりした代案があるのにできないのか、一緒に考えませんか。


■そうですね、戦争なんて無いほうが良いに決まってます。
でも、何故それが出来ないのか?その案を実行し、全国家の兵器も軍隊も捨てても、犯罪はなくなりません。犯罪を助長し、マフィアやヤクザと言った団体が肥大化し、そこに再び軍事力を持つ軍隊が出来てしまい、新たなる支配が生まれます。そしてそれらに対抗・自衛するために支配される側が武器を持ち蜂起する…そして歴史は繰り返します。

このような不安が懸念される案では具体案にはなりえないのではないでしょうか。


戦争反対…これは歴史的にみても全人類は常に求めていました。しかし、全人類が同じ思想を持ち、同じ価値観を持つことは不可能です。
現に、少なくとも国内にいる限り戦平和で、表現の自由が認められている日本国ですら、私や、貴方のように意見の差異が見られるわけです。

失礼ながら、もし戦前のように思想を統一するため検閲、規制があらば、No!AWACSの会は即時に解散させられ、代表者は逮捕されているでしょう。


わが国は過去の悲惨な戦争体験から、軍事が一種のタブーになり、軍事に精通していると言うだけで、非難される傾向にあります。しかし、軍事を知らず平和平和を叫んでも、平和はやってきません。
軍事を知り、戦争を知り、平和を知り、そしてそこから平和を目指すにはどうしたらいいのか?という議論が成り立つのではないでしょうか。


ところで、最後にお聞きしたいのですが、もしも阪神大震災規模の地震に遭い、東海地方一帯で多数の家屋が倒壊し、町が壊滅状態になってしまい、貴方をはじめとするNoAWACSの会の方が
生き埋めになってしまったとします。
もちろん、自衛隊ではNoAWACSの会の方であってもわけへだてなく救助活動を行うでしょう。自衛隊という組織を否定する貴方をはじめる
NoAWACSの会のメンバーは救助を拒否するのでしょうか?



以上、長々と失礼いたしました。


もう少し続きます、果たして、彼らは生き埋めからの救出を拒否することができるでしょうか。また、軍隊を撤廃=平和には繋がらないことを証明しました。それについての返答があるでしょうか。

次はNo!AWACS代表からの返信です。

・以下No!AWACSの会代表者の意見。
伊吹さま
メールをありがとうございました。
いろいろな知識を与えていただきまして、感謝しております。

自衛官であることから、あるいはその家族であることから人権を無視されるようなこ
とや、攻撃をされることがあるということは聞いていますし、実際に相談を当人から
受ける事もあります。
イラク特措法や有事法制が国会を通ったときにも、浜松でも自衛官の家に嫌がらせの
電話が多数あったこともありました。そうしたことは許されるべきことではないと
思っています。
また、実際に戦場に送り込まれるのも自衛官ですし、彼らや彼らの家族がどんな思い
でいるのかについても私たちは知らなくてはいけないと思います。自衛官の中でもこ
うした事に反対し、戦争にも反対を訴えている人がいらっしゃいます。その人たちの
話を聞き、語る場も用意しています。

伊吹さまのおっしゃる事に対して、伊吹さまと同じように私がどうのこうのいうとい
う権利もないと思っています。ただ、
戦争に反対することや、平和を求めるのに軍事
を知っていなくてはいけないとはかんがえていません。
そこは、論議をしても平行線
でしょうね。前回も伝えましたが、私たちは平和に暴力や暴力装置としての兵器は必
要ないということを訴えています。過去の歴史からそれを反省してみても、戦争や武
器は必要なものだとは考えていません。私の意見は軍事をあるいは、戦争や兵器を必
要なものだと、あるいはこんなに性能がいい、と宣伝、広報するのは必要のないこと
だと訴えているのですから、その根拠の違いから広報館をどうのこうの言い合ったと
ころで、話は空回りになるでしょう。兵器が戦争をおこすのではなく、政治がおこす
ということについてもある意味でそれは同感です。ただ、政治のせいにするだけでは
何も解決しないだろうというのも実感です。私たちはどういうことがあろうと、平和
は戦争ではかなえられないこと、暴力では平和はかなえられないことを訴え続けま
す。
私の反戦の根拠はそこにあります。決して、軍事を知ることが根拠にはならない
のです。
(戦争や軍事を「知らない」のに反対?…矛盾・根拠になっていない)

考え方がいろいろあることについては、否定しません。
ただ、
根拠に乏しいとは決して思っていません。


もうひとつ、「なだしお」の件で意味が良く理解できませんと私が言ったのは、事実
を捻じ曲げて報道するマスコミがあるのは事実です。どうしたら視聴率をあげること
ができるかということを考え、どう流したらいいかを考えるのですから。それを批判
することは必要ですし、真実をしらせることは必要だと思います。ただ、それと自衛
隊の広報ということのつながりがよくわかりませんでしたので。

浜松基地での航空祭にいったことはあります。あなたのいうように、
反対しながら中
にはいるのは矛盾するのかもしれません。
(矛盾には成っていません。)ただ、私たちも反対だという意思を伝える
ためにブルーインパルスの展示飛行の再開のときに、横断幕を持って中にはいりその
場で抗議をしました。何度もいいますように、戦争や兵器で平和はなされないという
ことからして、
ブルーインパルスが日本の国民の生活や、日本の国民の平和を願う気
持ちを守っているとは思いません。


最後に私たちのグループは一人一人のそれぞれの考えで(当然反戦・平和をもとめる
ことを大きな一致した目的として)集まっているものです。政党や一つの考え方でま
とまった政治団体というのとは違う事は述べさせていただいておきます。

もう一つ、阪神大震災のことがかかれていましたので、これについて、私が聞いてい
ることです。
被災者の方からの話ですが、あの時自衛隊が何をしてくれたかということについての
報告を読ませてもらったことがあります。被災者の懇願を聞かないふりをしているの
か、その場にいながら何もしようとしなかった。何故それだけの人数がいるのに、こ
のなかに下敷きになっている人を助けてくれという私の願いを聞いてくれないのかと
訴えても命令がないという返事がかえって来ただけだった。また、そのとき派遣され
た自衛隊員の言葉もありました。同じ場所にいたということではありません。そこに
いて、命令がないままなにも出来なかった事がとても辛かった。というのです。レス
キューが来るのを待つしかなかったというのですね。つまり、自衛隊員が何とかした
いと思うんです。しかし隊としてはそれを許さない状況もあるということです。人の
命と隊としてのうごきをとれば、隊としてどうするかということが大事であるという
ことです。同じようなことは三宅島などはじめ、いくつも報告されています。先の沖
縄戦でもいわれているように、軍は民衆を守るのではありません。民衆のためにある
のでもありません。自衛隊と軍隊は違うといわれればそれについて、討論しても長く
なりますが、隊としてどう動くかというときの根拠は人の命ではないということで
す。ひとりひとりの隊員の意志は無視されるということです。
(あれあれ?私がした質問はどこに?)

伊吹さまの多くの知識には感銘しましたし、私もふたまわりも違う若いかたがこれだ
け一生懸命勉強して日本のことを考えていることに力強さも感じました。
確かに私には、あなたがおっしゃるようにそれだけの知識をもたないものです。しか
し、さきに述べましたように、
戦争のない社会をめざすということに、軍事的知識を
基盤にする必要は全くないと私は思っています。ただそれは知らなくてもいいという
こととは違いますので、今後私自身もできるだけ勉強していきたいと思っています。

パソコンについても、同じ意見をよく私も受け取ります。事実はそうだと思います
し、それでも何故使うのかといわれれば、今の時代多くの人に意見を主張するのに便
利だとしかいいようがないのです。では、
便利なら軍事用に開発されたものでも使う
のかと言われれば、実際使っているのだから返答の仕様もない
(笑うところですか?…(´д`;))のですが。パソコン以
外にもそうした目的で今あるものは、かんづめ等始め、たくさんあると思います。
知っていて使っているものも、知らずに使っているものもたくさんあるのだろうと思
います。そういうことについては、指摘を受けることは自分にとっても有意義である
と考えています。

実際、戦争のない社会を明日、あるいは近いうちに実現しますとは、いえませんし、
私や私たちのグループだけでそれが出来るとは思えません。実際いまでも戦争や争い
はおこっているわけですから。また日本政府もそうした方向にいっているわけですか
ら。ただ、それでも私たちの戦争ではなく、話し合いによる平和をという主張は言い
続けていく必要があるということを強く訴えていきたいと思います。
あなたのいうように、意見の違いは多くあるでしょう。それを皆一緒にしろとは決し
て言いません。ただ戦争はイヤだ、戦争では解決しないのであるから、まったくそう
した方法をもちいない方向を探してみようということで一致できることをまず目的に
して、いろいろな方法を探り出していくということがみなでするということが出来る
ようにしていく必要を感じ、今後も訴えていきたいと思います。

誤解がないように一言言わせていただきますが、私たちが要請したり私たちの意見を
知らせたりするのに、
悪意をもって攻撃しているということはありません(注※)
。ただ、そ
れぞれのものの考え方のなかで私たちの文章を悪意を持って読み取るということはい
くらでも出来ます。私がかいた、今後直していくというのは、悪意をもっていること
はないということを前提にして、わかりにくいといわれる文章をなんとかわかりやす
くしていけたらということですので、よろしくお願いします。

なんら答えになっていないと思われるかもしれません。ただ、意見の違いをはっきり
させられたという点でいえば、それについてお互いの意見を言い合うだけではなかな
か解決できない事も多いと思います。
地理的なこともあります。また私たちと同じように、戦争のない社会をということで
運動をしているグループも神奈川にもいくつかあります。私たちのグループもそうし
た動きを知らせようと、HPにリンクしていますので、機会がありましたらそちらに
参加してみてください。
また、いろいろな知識のご教授お願いします。また、いろいろな意見よろしくお願い
します。



注※彼らのウェブページには「事実無根」の被害を主張しています。

何ら答えになってないかもしれませんが…ってねぇ。なってねえよマジで。生き埋めになったら救助を求めるのか?という質問はどうなったのでしょうか。

その答えは次回に続きます…次回はNoAWACSの会との戦歴最終特集です。