Southampton Hall of Aviation, Solent Sky
Museum サウサンプトン ホール オブ アビエーション ソレントスカイミュージアム |
ソレントとは、イギリス南部フランスとの海峡沿いの街サウサンプトンを含む地域の名称で、航空の歴史が始まって以来、ソッピース、デハビランド、ホーカー、スーパーマリンなど、24もの航空機メーカーの工場が立ち、イギリスの航空産業の中心として発展しました。本博物館はそのソレントで設計・製造された航空機とスピットファイアの生みの親レジナルド・ジョセフ・ミッチェルを記念した博物館です。
規模はそんなに大きくなく、日本にある航空博物館と大差は有りません。見学時間は2時間も有れば十分でしょう。展示機の魅力は桁違いですが(^^;
正式名称はソレントスカイミュージアム(Solent
Sky Museum)なのですが、どうも最近改名サウサンプトン航空博物館(Southampton
Hall of Aviation)から改名されたようです。
なお、入館料は5ポンドで、入館時に退役軍人らしきおじいちゃんと会話しながら簡単なアンケートみたいなものを書きました。
公式サイト (音が鳴ります。注意。)
http://www.spitfireonline.co.uk/
■行き方
レンタカーで行ったので、公共交通機関での行き方は調べていません。恐らくロンドンのWaterloo駅から鉄道でサウサンプトンへ向い、バスを使う事になると思います。
Google MAP
この建物がソレントスカイミュージアムです。
午前中はボービントン戦車博物館を見学し、その後に向ったのですが、何分土地鑑ゼロの場所ですから、サウサンプトンの市街に入った後かなり迷走しました。
途中、通行人に声を掛けて地図を見せながら、ウェアイズヒア?? ウェアイズソレントスカイミュージアム??(日本語発音で)と、場所を聞いたのですが、なかなか通じませんでした(^^;
最後にホールオブアビエイションと言ったらようやく分かってくれました。なんとか行き方を教えてもらい、無事に到着しました。ありがとう見知らぬサウサンプトンっ子さん。でも、腕に彫ってた漢字のタトゥー、それ鏡文字になっていて読めませんから!(笑)
自動車学校以来初めてMT車を運転したので、ド田舎はともかく市街地走るのは苦痛でした。ギアをローにし忘れて坂道3rd発進でエンストしまくり>< イギリスは殆どATが無いので(有ってもかなり高い)、MT車に慣れてない人は気をつけてください。
博物館の入り口付近から撮影。駐車場は有りませんので、Albert通りにあるコインパーキングを使ってください(この道は一方通行です)。左のシルバーのクルマが私たちがレンタルしたプジョーです。
クリックでメニュー部を拡大します。ちょうど私たちがクルマを駐車した目の前辺りに、駐車券の自動販売機があるので、1時間なら1ポンド10ペンス、2時間見学するなら2ポンド20ペンスを入れましょう。
すると、投入した金額が書かれた駐車券が出てくるので、それをフロントガラスの内側にくっつけるか、ダッシュボードの上に置けばOKです。余分に入れてもおつりは出ません。 あいにくちょうど無かったため、私は2.5ポンド支払いました。クレジットは怖いので...
ちなみに一緒に行ったバディは帰国後にクレジットのスキミング被害に遭っていた事が発覚しました(^^;
■飛行機展示
・Supermarine S6A 1929
スーパーマリンS6A!そう、これが見たくてこの博物館に来たです!
シュナイダートロフィーレースにて1929年、1931年と連覇し、その前の27年大会と併せてイギリスの3連覇を達成。シュナイダートロフィーの永久保有を決定付けた、歴史的名機です。本機は1929年に優勝したタイプ。最高速度は527.8km/hで当時の世界記録を塗り替えました。
シュナイダートロフィーレースは一周350kmのコースを二週します。29年大会ではイタリアのマッキが途中リタイアし本S6Aが優勝。31年大会ではイタリアのエンジン2基を双発直列にしたマッキMC72はレースに間に合わず棄権。S6Bだけが出場となり単独で周回。S6Aを上回る547.31km/h記録し優勝しました。15年も後に登場した第二次大戦末期の帝国海軍水上機の晴嵐より50km/h以上高速です。
ただ速く、ひたすら速く飛ぶためだけの目的に設計されたサラブレッドだけあって、非常に特徴的なシルエットをしていますね。
その最もたるのはラジエーターが無い事ではないでしょうか。前面投影面積を極限まで低減するために、ラジエーターを廃止し主翼上下面およびフロートの大部分に表面冷却構造をもっています。また、胴体に水平に走っているパイプはオイルクーラーです。
ほぼ機体全体がラジエーターなのはレーサーだからできることであって、戦闘機でやったら大変です。零戦の防御力どころの騒ぎでは有りません。主翼に一発食らったらその時点で終わりです。
映画、『紅の豚』では1925年シュナイダートロフィー優勝のカーチスR3-2Cレーサー改造戦闘機が登場しましたが、表面冷却をやめて機首の下部にラジエーターが取り付けられていました。
胴体は1900馬力のロールスロイスRエンジンの投影面積からはみ出さないように徹底的に最小限に設計されています。前方視界ゼロ。前なんて全く見えません。
なめらかな枕頭鋲も目につきます。ワイヤーはエルロンの操縦索です。
ジェラルミン削り出しの滑らかな固定ピッチプロペラ。極度に高速設定されています。フラップも無い小さな主翼でよく離水できましたね。どれだけ滑水したんでしょう。
そのシルエットはゾクゾクするような美しさを感じます。
トリムタブはついてるんですね。というか高速機なのにタブが無かったら、さすがにパイロットが途中で力尽きるか。
S6のエンジンかと思ったらネピアとか書いてあるし、1927年のシュナイダートロフィー優勝機スーパーマリンS5のエンジン。危うく騙されるところでした(^^;
(パリのル・ブルージェ航空宇宙博物館より)
こちらは1913年シュナイダートロフィーの初代優勝機のドゥペルデュサン モノコックレーサー(の陸上型)。13年の時点では革新的であった本機も、途中戦争を挟んで僅か16年間の間に、酷く古臭い飛行機になってしまいました。
ドゥペルデュサンがシュナイダートロフィーに優勝した際の最高速度は僅かに73.56km/h。S6Aで1900馬力の528.8km/hに向上したのですから進歩の速さは半端ありません。
・Supermarine Type300 1936
スーパーマリンタイプ300はスピットファイアのプロトタイプです。どう見てもレプリカ。
スピットファイアの系譜。上記のスーパーマリンのレーサーからタイプ224最初にスピットファイアと呼ばれた飛行機が生まれ、次にタイプ300、そしてスピットファイアMk.Iに成りました。
レジナルド・ジョセフ・ミッチェル技師の等身大銅像。氏はS6Aとスピットファイアの設計者です。癌に冒されながらもスピットファイアの設計を急ぎ、完成させた直後に亡くなっています。バトル・オブ・ブリテンでのスピットファイアの活躍を知る事が出来ませんでした。
零戦の堀越技師はともかくとして、スカンクワークスのケリー・ジョンソンや、ドイツのウィリー・メッサーシュミット、クルト・タンク、MiGのアルチョム・ミコヤンは有名なのに、日本での氏の知名度はあまり高くありません。シュナイダートロフィーを勝ち取ったレーサーに、救国の戦闘機を設計。その偉業は劣ることは無いのですが。スーパーマリン社じゃなくてミッチェル社だったらもっと有名だったのかな?
氏の言葉で私の大好きなものがあります。「美しき飛行機には素晴らしき性能が宿る」
よく聞くフレーズなので、ひょっとしたらミッチェル技師の言葉ではないかもしれませんが、S6にスピットファイアという美しい飛行機を作った彼の言葉である。と、私はそう信じています。
ポイッ!!(ノ。>ω<)ノ ⌒【ステルス機】
・Supermarine Spitfire F Mk.24 1946
今まで、スピットファイアは20機は確実に見てる。Mk24に限ってもこれで3機目...(笑)
おや、これジャイロ照準器ではないですか。スピットファイアにも搭載されていたとは。調べたところフェランティMk.II ジャイロ照準器で、スピットファイアMk9から搭載してたとか。
WW2機で搭載していたのは、ずっとP-51DのK-14だけかと思い込んでました(^^;
・Short Sandringham IV
ソレントスカイのヌシ。ショート サンドリンガムIV。サンダーランド飛行艇の旅客機型です。
機内を見学する事ができ、内部を一人でうろついてたら博物館スタッフのおっちゃんが案内してくれました。地球の裏側ニュージーランドまで定期航路が延びていたそうです。こんな遅そうなレシプロ飛行艇でイギリスからニュージーランドまでの航路なんて乗りたくありません。ジェット旅客機で欧州<>東京間を乗るだけでも疲れると言うのに(^^;
まるで特別列車のような趣のある配置ですね。
ちなみに機内はかなり暗いです。この写真はISO1600 F4.5シャッター速度1/5で撮影しています。よくブレなかったな...。
最後尾の貨物室。剥き出しのセミモノコック構造がステキですねえ。
階段を登った二階席。14席ありました。
トイレも。
なんか、おっちゃんがキャビンがどうのこうのと言っています。なんかキャビンを見たいのか?と言っているようですが、ここがキャビンなんじゃないの?意味がわかりません。とか首を傾げてると、立ち入り禁止と書かれた梯子を下ろしてコックピット内に案内してくれました。なるほどキャビンってそういう意味だったのか。
plese do not operate. 「触らないで」じゃなくて「運行しないで」とは面白い。
私がキャプテン席に座り、館員のおっちゃんがオブザーバー席に座り、色々と説明してくれました。英語はできませんが、飛行機関連の単語は聞き取れますから、なんか通じるんですよね。
おっちゃんにエンジン関連機器が全く無い事を聞くと航空機関士と通信士、航法士の席は後ろにあると教えてくれました。そんな質問したらパイロットか?と聞かれました。ノーノー ホビーホビー。
で、私がスピットファイアがマイフェイバリットなエアクラフトだと言ったらバトルオブブリテンの話題に成ったのですが、おっちゃん曰く「メッサーシュミットはレンジがショートで助かった。マスタングみたいなレンジがロングだったらベリー困ったね。」だそうです。Bf109の航続距離が短くてダメだったと言うのは我々と共通の認識だったんですね。
でも、そこは零戦でしょ!とか、思ったけど、この日本人Uzeeeeと思われたくなかったので言いませんでした(^^;
国旗を立てる天上の窓から。メカニックのマネキンが整備していました。
ジャパンのドコから来たの?とか聞かれましたけど、なんで私が日本人だと分かったんだろう?と、そのときは思いましたが、よく考えてみたら入館時に日本から来たと書いたのでした。とりあえず、トーキョーからサウス20マイルのヨコハマで、ニッサンのヘッドクォーターが有ってユナイテッドステーツのエアクラフトキャリアーのマザーベースもあります。と言ったら理解してくれました。
もちろん、こんな長島茂雄も真っ青な日本語交じりの英会話はしてませんが、ほんと文法無視で「ハート」で会話しました。意外と通じるし、向こうの言ってる事も結構分かったりします。
例えば、サンドリンガムの哨戒機型のサンダーランドがダックスフォード帝国戦争博物館にあると聞いたときに、「おととい」という単語が分からず、「I look the Sunderland in the Duxford at yesterday yesterday」と、yesterdayを強調しつつ身振り手振りを交え二回言ったら、OK,OK 2day ago.と返してくれました。なるほど。2day agoって言えばよかったのか。よく考えてみればそりゃそうだ。
英語のテストだったら容赦なく×です。私自身は中学生レベルの英会話しか出来ませんが、それでも私の言いたいことの6割は通じたと思うし、向こうの言ってる事の6割は理解できていたと思います。
もし東京駅で、外国人に「教えて下さい 京都 行ってきました 新幹線」と聞かれれば、ああ、この人は京都に行きたくて新幹線を探してるんだな。と、分かります。それと同じ。lookをlookedにし忘れても全然オッケー!なんとかなっちゃうから、異文化交流は面白い(´∀`*)
最後にファンボローエアショーに行くのか?と聞かれましたが、このままヒースローにゴートゥーしてジャパンにリターンします。ブリテンのエアクラフトはオール ビュティホーでした。と言って握手して別れました。ありがとう英国紳士さん。
でも残念。もっと私に英語力があれば色々と会話できたのに。
・Supermarine Swift 1946
凡作スウィフト。首だけ。スーパーマリン社もミッチェル技師が居なくなるととたんに精彩を欠きました。というかイギリス全体がジェット最先進国の自負が有ったからか、ドイツからの技術導入を怠った向きがあります。
英国式とも言える遠心圧縮ターボジェットは完成度が高く悪くなかったのですが、機体の設計がねえ...。
・Saunders-Roe SR.A/1 1947
サンダース ローSR.A/1は...信じたくありませんが、水上ジェット戦闘機です。いやジェット戦闘飛行艇と言った方が良いのでしょうか。機首部に20mm機関砲4門を備えているのが本機が戦闘機である証です。1910年代〜20年代には飛行艇タイプの戦闘機が無かったわけでも有りませんが、竜骨を持ったジェット戦闘機は本機が最初で最後でしょう。
海水を吸い込まないために高い位置にある、非常に大きなインテークがとてもユニークです。
太平洋戦線における湾口や湖での運用を目的として1944年に計画がスタート。その背景には二式水戦の影響があったと言われています。
初飛行は終戦後の1947年。見た目以上に高速で、最高速度824km/hを記録しましたが、ミッチェル氏曰く「美しき飛行機には素晴らしき性能が宿る」の言葉どおり、美しくない本機は陸上の戦闘機よりも200-300km/hも遅く、結局のところ戦闘機としては性能不足であり、当局から見放され、ジェットの二式水戦に成る事はできずに1951年に中断されました。
第二次大戦の戦後処理、植民地の独立機運、冷戦、そして朝鮮戦争の真っ最中。こんなお遊びに予算だしてやれないよ。と。
SR.A/1は3機が製造されましたが、2号機3号機は事故で廃棄され、唯一生き残った1号機のみが本ソレントスカイミュージアムにて翼を休めています。
ホント、なんでイギリスの軍用機ってこんな変態ばかりになっちゃったんでしょうね。ま、そこが良いんですが。
(と、思えるようになったら末期症状です)
・Martin Baker Pre Mk..I
マーチンベイカーPre Mk1とは珍しい。射出座席の名門マーチンベイカーの最初のモデルで、1946年7月24日にミーティアで初射出が行われました。テストパイロットのバーナード・リンチ氏は、なんと30回も射出座席で放り出されています。なんという人体実験。
頭上の赤のレバーを引っ張るとエジェクションガンと呼ばれる火薬が炸裂し、発火から約0.5秒で24ft上空に打ち出します。
歴史あるマーチンベイカー社の射出座席の生産タイプを最初に搭載した機は上記サンダース ローSR.A/1戦闘飛行艇でした。そしてこの座席はSR.A/1に搭載されていたものです。
・de Havilland DH.100 Vanpire T11 1943
ドコにでもあるバンパイア。日本にも有る位だから本当によく見かけます。
練習機型のスイス空軍仕様。
・de Havilland DH.105 Sea Vixen 1951
デハビランド製の艦載戦闘機シービクセン。バンパイアを原型とした戦闘機シリーズの最終作で、直系の先祖はシーベノムなのですが、バンパイア、シーベノムとは双胴ブームを持つという以外殆ど共通点が無く、かなり大型化しています。主翼は折りたたまれているので分かり難いのですが、後退角をそなえています。
着艦時のテイルストライクを避けるためなのでしょうか。水平安定板の位置が高くなり、尾部の形状が従来のバンパイアシリーズとは大きく変化しています。
シービクセンの初飛行は1951年だったのですが、翌52年のファンボローエアショーで空中分解し墜落(乗員と観客31人死亡)。主桁の再設計を行い構造を強化。開発は遅れに遅れて1956年には空母アークロイヤルへの最初の着艦を行いました。部隊への配備はさらに3年後の1959年。そして同空母上で最初に運用状態になったのは1960年でした。
一方そのころ、アメリカ海軍ではF4HファントムIIが配備されようとしており、完全に時代遅れと言わざるを得ません。そして1962年には英国の時期艦載戦闘機にF-4の採用が決定。本機はシーベノムとファントムの間の繋ぎとして運用されました。
繋ぎとは言ってもシービクセンが果たした役割は決して小さいものとは言えません。ファントムが配備されるまでの一時期は艦載戦闘機は全てシービクセンだけとなりましたし、なによりもAI.18レーダーと、写真のファイアストリーク IR誘導AAMの搭載により英国海軍最初の全天候迎撃戦闘機となっています。なお、ミサイル万能主義吹き荒れる50年代後半機らしく、ガンは廃止されており武装はファイアストリークのみです。
こんなところにラムエアタービンが。実物を見るのは初めてでした。
本機は亜音速機ですが、同世代機と同様にダイブで超音速に達する事ができました。
これはひどい。まるで片目のカエルです。これだからイギリス製ジェット戦闘機は...。ま、そこが良いんですが(二度目)。
サイドバイサイドの複座にしてレーダー迎撃士官を乗せようと言う算段だったようです。
・Folland Gnat F1 1955
お、珍しい。セイバー殺しのナット戦闘機型じゃないですか。
RAFには練習機型しか採用されませんでしたが、インドにより第二次・三次インド・パキスタン戦争に投入されています。
第二次印パ戦争ではF-86を9機撃墜。損害はサイドワインダーにやられた1機だけでした。第三次では7機のF-86を撃墜。損害は12.7mmに撃たれた1機だけ。さすがにF-104やミラージュIIIを相手には負け越していますが、セイバーを相手にした時には異常なまでに力を発揮しました。空中戦全体を見るとパキスタンが勝ち越しており、インドが特別練度に優れていた訳では有りません。
F-86と推力は20%程低い程度なのに自重は半分もありません。速度で同等、推力重量比に勝り、圧倒的な上昇力を持ち、翼面荷重も低かったため、ドッグファイトに入ると無類の強さを見せました。一時期最強を誇った軍刀も刺し蝿だけは切れなかったようです。
スピットファイアF Mk24よりも小さく軽い、史上最も小さい実用ジェット戦闘機だからこそ出来た勝利でした。。全長は8.74mと空自のT-7といい勝負です。
DEFA30mm機関砲を2門、エアインテークの横に装備しています。一見発射ガスをモロに吸い込みそうですが、1枚目の写真を見ていただくと分かると思いますが、側面には燃焼ガス放出用の穴が空けられています。
・De Havilland Tiger Moth
タイガーモスはイギリスの赤トンボ。いや、黄色トンボ?
色々と面白い特徴がありますね。上の主翼だけ前部に小翼がついています。アドバースヨーを打ち消す効果が有るんだとか。
また主翼に軽く後退角が付いてます。何故上半角ではなく後退角をつけたんでしょうか。
・Wight Quadruplane 1917
第一次世界大戦中期〜後期にソッピース・トリプレーンやフォッカーDr1などの翼面荷重を下げる事を目的とした三葉戦闘機が有りましたが、このクァッドルプレーンは、それに更に上を行く四葉機!一番下を除く全ての翼に計6枚のエルロンがついてます。これは凄い。というか接地した瞬間に一番下の翼が破損しそう。
1917年に初飛行しましたが満足した性能を得られず、戦闘機として採用されることなく消え去ってしまいました。本機はレプリカです。
・Avro 504J 1913
アブロ504は、第一次大戦機としては最も多い9000機あまりが生産された多用途機です。初飛行は1913年。第一次戦争前の世代の飛行機としては異例とも言える成功を収めました。504Jは練習機型です。
1914年8月22日にイギリス軍最初に被撃墜(地上からのライフル射撃による)を記録。11月21日にはドイツ軍のツェッペリン格納庫に対し空爆を敢行。3機のアブロ504は4発の爆弾...というにはあまりにも小さな20ポンド(9kg)手投げ弾を4発搭載し、1機が撃墜されながらも水素工場を破壊しました。
さすがに旧式化は免れず、展示されているアブロ504Jのように総生産数の殆どを練習機型が占めましたが、一部の機は終戦まで前線で使用されつづけました。手前のロータリーエンジンは80馬力ノームエンジン。ニューポール11などと同じものです。
戦後、我が国でもライセンス生産が行われています。
・Britten Norman BN-1F
一人乗りのスポーツ機。
・Slingsby Cadet TX.3
1950年から86年までRAFで使用された訓練用グライダーだそうです。
Slingsby T38 Grasshopper
その名もバッタ。こちらもRAFでグライダーの訓練に使われた機体のようです。
・不明
パンフレットにも載ってないし、機種が分かりませんでした。
恐らく戦間期のアクロ機だと思うのですが...。なんか、ニューポール11に似てるような気がするんですよねえ。
・リンクトレーナー
デパートの屋上にある子供用玩具で遊んでるわけでは有りません。
昔のフライトシミュレーターで、計器飛行の訓練に用いられました。
・Mignet Hm14 Flying Flea
一人乗りのスポーツ機。キットで届くので、それを自分で組み立てて作るようです。
・SUMPAC
何これ、鳥人間コンテスト?(´∀`*)
サウサンプトン大学の航空部で設計されたとかなんとか。
以上でサウサンプトン航空博物館・ソレントスカイミュージアムは終了です。規模的にはRAFミュージアムなどとは比べ物にならないほど小さいので、近くによるついでならともかく、どうしてもスーパーマリンS6A(S6Bならロンドン科学博物館にある)が見たい、サンダースローSR.1/Aが見たいと言うのでなければ、あえてサウサンプトンまで足を延ばして見てまわる程の展示は無いと思います。
しかし、小さい博物館ならではと言いましょうか。博物館のスタッフさんはとても親身になって色々と教えてくれました。ゆっくりと喋ってくれたお陰で、英語も理解しやすかったし、ホント楽しかったです。
また、見学中は港町らしくカモメの鳴き声が絶えることは有りませんでした(最初はスピーカーから鳴らしてるのかと思ってました)。ほんと雰囲気の良い博物館です。
陸戦モノが好きでしたらボービントン戦車博物館。海軍が好きなら空母の母港ポーツマス。少し離れますが海軍航空博物館と、それぞれクルマで片道1時間〜2時間ほどの場所に有りますから、一緒に見てまわるのも良いかもしれません。
というわけで、私たちはレンタカーを返却し、2008年のヨーロッパ遠征を終えて帰国するためにヒースロー空港に向けて発車します。M3高速道路に乗るまでは若干混雑がありましたが、あとはスイスイと1時間半程度でヒースロー空港に到着しました(空港周辺で軽く迷子に)
無事にレンタカーを返却し、ヒースローで一息つきながら飛行機を待つのでした。
日本への到着はソウル経由で20時間後...エコノミー座席で耐える辛い苦行の始まりです(^^;
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