61式戦車
61式戦車は、M4、M24、M41といったアメリカ軍貸与の旧式戦車に代わり、1961年に制式採用された、戦後初の陸上自衛隊の第1世代型国産主力戦車である。(もっとも戦車と言っても地形を利用した待ち伏せ戦法を主体として運用される事が想定されていたので、戦車駆逐車と言った方が正しいと言える)。
開発は1955年に開始され、アメリカ軍のM47、M48戦車や旧軍の三式、四式戦車の設計や構造を元に、1957年3月に第一次試作車「STA-1」と「STA-2」が各2両づつ試作された。
それぞれのタイプは設計思想が全く異なっておりSTA-1が全高を下げることが最優先とされ、STA-2は全高はSAT-1より250mm程高くして内部を大きく取り無理のない設計とされた。
そして比較試験の結果、オーソドックスな設計のSTA-2が採用されそれを元に1958年、第二次試作車として2両の「STA-3」と10両の「STA-4」が試作された。そして1961年4月に「61式戦車」として正式採用された(当時は国情を鑑み「特車」と呼ばれた)。
車体は溶接、砲塔は鋳造であり当時としてはごく一般的な構造で、車体、砲塔共に避弾径始を考慮した丸みを帯びた形状をしている。また日本の地形や鉄道による戦略輸送を行うことを考慮して、非常に小型軽量なのも特徴である。
主砲は当時としては一般的な52口径90mm砲を、副武装として対地/対空用12.7mm機関銃を車長用キューポラに、対歩兵用として7.62mm機関銃を主砲同軸に装備、そして照準装置は主砲右側に同軸装備された61式テレスコープ、砲手用に61式ペリスコープ、そしていわゆる三角測量を応用した61式合致式車上1m測距儀を搭載している。
エンジンは空冷ディーゼルエンジンを車体後部に搭載、プロペラシャフトを介して前部トランスミッションに繋ぎ、起動輪を駆動している。サスペンションは鋼の捻れの反発を利用したオーソドックスなトーションバーを採用している。乗員は車長、砲手、装填手、操縦手の四名で主砲の発射、照準は砲手のみが担当する。
習作故に設計に未完成な部分も多く、車体前面の一番被弾を受けやすい所にトランスミッション点検用のハッチがボルト止めされていたり、また小型軽量を求めたため装甲防御にも難があった。
操縦性にも難があり、当時の隊員に「世界一操縦の難しい戦車」と言わしめ、さらに信地旋回は出来るが超信地旋回が出来ないなど若干機動性の面でも劣っていた。
また車体の構造上どうしても床面が高くなってしまい、その結果防御上不利な高い全高となった。
他にも設計のベースになったM47に搭載されていた弾道計算機が本車には搭載されておらず、命中率は砲手の技量に左右されやすかった事や、主砲にスタビライザーが搭載されておらず、行進間射撃が行えない、夜戦能力が無かった(一応研究はされた)など、同世代の戦車と比べるとやや劣る面が多かったのは事実だが、戦後の空白を乗り越え、何とかかんとか国産戦車を作り上げ事は十分に評価に値する。
61式戦車は74式戦車採用後も機甲戦力の一翼を担って長く使用されたが、運良く一度も戦火をくぐることなく、2000年には総てが退役し、用途廃止となった一部の車両が転覆した戦車の復旧訓練等の教材として使用されている。
名称 | 61戦車 |
製造 | 三菱重工株式会社 |
全長 | 8.19m |
全幅 | 2.95m |
全高 | 2.49m |
乾燥重量 | 35t |
出力 | 12H21WT型空冷V型12気筒ターボディーゼル 570HP |
速度 | 45km/h(整地) |
携行燃料 | 不明 |
航続距離 | 200km |
主武装 | 52口径90mmライフル砲x1(遂行段数50発) |
副武装 | 12.7mm機関銃x1・7.62mm機関銃x1 |
乗員 | 4名 |
実戦配備 | 1961年 |
●日本
560輌