彗星
本機は旧日本海軍航空技術廠の開発した艦上爆撃機である。形式はD4Y、米軍コードはJUDY(ジュディ)と呼ばれた。
当初日本海軍は九九式艦上爆撃機の後継として、ドイツのHe118を国産化する計画を立てていたが、機体構造や量産準備に問題があり、また国産の意見も強かったので、結局は国産に落ち着いた。結果海軍は1938年(昭和13年)に十三試艦上爆撃機として開発を開始した。
この新型爆撃機には戦闘機をも凌ぐ519km/hの最高速度が要求された。米海軍の同世代機SB2Cヘルダイバーが475Km/hであることからも分かるように要求性能は相当に厳しく、また同時に出された航続距離1842kmとの両立は至難の業であった。
当時の日本には高出力のエンジンもなく、またあったとしてもそれを安定して生産する基礎工業力も乏しかった。
設計陣は要求性能をクリアするために徹底的な空力的洗練を目指し、また高速化のために機体前面の面積が小さくなる液冷エンジンの「タイムラーベンツDB-601A」(量産型は熱田二一型)を採用した。
抵抗を減らすために主脚を引き込み脚にしたのはもちろんのこと、搭載した爆弾が抵抗になるのを防ぐために爆弾槽に爆弾を収納することになった。爆弾槽の関係で主翼は中翼構造となっている。先端は薄翼となって捻り下げが施され、翼幅は空母での運用を考えてコンパクトにまとめている。
他にも当時の日本が持っていた最新の技術が投入されフラップは全電動式、特殊な計算能力を持つ爆撃照準機二式射爆照準器一型などを盛り込んだ。
1940年(昭和15年)1月には試作機が完成し、期待以上の高性能を発揮したものの、急降下爆撃機として運用するには強度が低い等の強度問題や、各部改修などで採用が遅れてしまった。
1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で、爆弾槽にカメラを搭載した偵察機型「二式艦上偵察機」として空母蒼龍に搭載されたりもしたが、急降下爆撃機としては1943年12月にようやく「彗星一一型」として制式採用された。
その後もより強力なエンジン「熱田三二型」を搭載した「彗星一二型」等の改良型も登場し実戦配備された。
しかし実戦に配備された彗星は、日本では実績がほとんど無い液冷式であったこと・あまりにエンジンが繊細すぎたこと・金属の質の低下・工作精度の低下などもあって熱田一二型の稼働率が恐ろしいほど低く、作戦遂行に必要な数も揃えられないなど、前線からはクレームが続出するという状態になった。
整備員・搭乗員ともに液冷エンジンの研修を行うことで、夜戦型彗星を終戦まで高稼働率でキープした浜松の芙蓉部隊といった部隊もあるが、これはあくまで例外的なものである。この現実に対して稼働率の低い液冷式エンジンをやめ、信頼性の高い空冷式の「金星六二型」に換装した「彗星三三型」を開発した。これにより最高速度などのスペックは落ちたものの、稼働率は劇的に向上した。
しかしこの「彗星三三型」が制式採用された1944年(昭和19年)には既に本来搭載されるべき稼動状態の正規空母が無く、着艦フックを外された陸上運用型が生産され陸上基地から運用されることとなった。
そして他の日本軍機の例に漏れず、戦争末期は特攻機として運用されることが殆どとなった。
またカタパルトからの発進を可能にした航空戦艦搭載型も試作されていたが、実用には至らなかった。
生産機数は総計して2157機(液冷式880機)で海軍機としては零式艦上戦闘機、一式陸上攻撃機に次いで3位である。
彗星が登場当時世界最高性能の艦上爆撃機であり、素晴らしい「飛行機」であったことは間違いない。しかしその性能が遺憾なく発揮されることは当時の日本の技術では難しく、その意味では悲運の「飛行機」と呼べるかもしれない。
だが「兵器」はあくまで戦争で使われるものであり、技術が追いつかず性能を発揮することができないのでは全く価値が無い。~「彗星三三型」にてある程度解消したが、その時には既に同機が戦果を残す土壌は消えていた。「兵器」としては失敗であったともいえるだろう。
性能諸元
名称 |
彗星一二型(D4Y2) |
彗星三三型(D4Y3) |
製造 |
愛知航空機・海軍航空技術廠 |
愛知航空機・海軍航空技術廠 |
主任務 |
急降下爆撃 |
急降下爆撃 |
全長 |
10.22m |
10.22m |
全幅 |
11.5m |
11.5m |
全高 |
3.3m |
3.3m |
主翼面積 |
23.6m^2 |
23.6m^2 |
乾燥重量 |
2440kg |
2,500kg |
全備重量 |
3853kg |
3,750kg |
ペイロード |
1:500kg爆弾×1
2:250kg爆弾×1
3:60kg爆弾×2 |
1:500kg爆弾×1
2:250kg爆弾×1
3:60kg爆弾×2 |
最高速度 |
580km/h |
574km/h |
実用上昇高度 |
10,700m |
9,900m |
航続距離 |
3602km(荷重) |
2911km(荷重) |
エンジン |
熱田二一型 |
金星六二型 |
固定武装 |
7.7mm機銃3門(固定2門・後部旋回式1門) |
7.7mm機銃3門(固定2門・後部旋回式1門) |
初飛行 |
1940年11月 |
乗員 |
操縦員1名・通信員1名 |
操縦員1名・通信員1名 |
生産数 |
全型合計2157機 |
派生型
●一一型(D4Y1)
「熱田」二一型(公称1,010hp)発動機搭載の初期型
●一二型(D4Y2)
「熱田」三二型(公称1,340hp)発動機搭載。風防形状、照準器変更
●一二甲型(D4Y2a)
後部旋回機銃を13ミリ口径に変更した機体
●一二戌型(D4Y2-S)
20mm固定機銃(斜め銃?)4丁を搭載した夜間戦闘機試作機
●二一型(D4Y1改)
一一型をカタパルト射出可能に改造した機体。航空戦艦搭載用
●二二型(D4Y2改)
一二型をカタパルト射出可能に改造した機体。航空戦艦搭載用
●二二甲型(D4Y2a改)
二二甲型をカタパルト射出可能に改造した機体。航空戦艦搭載用
●三三型(D4Y3)
液冷エンジンの稼働率の悪さから、空冷の金星六二型に換装した機体。宇垣中将の最後の乗機も本機である。
●四三型(D4Y4)
戦闘機を振り切るために加速用火薬ロケットを装備したタイプ。胴体に大きな切欠きがある。
配備国
●日本
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