大量報復戦略からの脱皮

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【空対空ミサイル現る。金門馬祖上空戦 】

1958年9月24日。金門馬祖周辺・台湾海峡において、共産党政府軍(中国)のMiG-15ファゴット及びMiG-17フレスコと、国民党政府軍(台湾)軍が保有するF-86Fセイバーによる大規模な空中戦が勃発した。
MiG-15/MiG-17は述べ100機あまりが投入され、F-86Fセイバーは32機が投入された(あくまで総数であり、当初は両軍合わせて20機程度で、入れ替わり交戦したため同時に100機対32が交戦した訳ではない)。
1958年当時、他国では既にマッハ2級戦闘機が就役しており、MiG-17もF-86Fも既に旧式化した機ではあったが、MiG-17は極めて優れた戦闘機であり、上昇力、加速力、最高速度、運動性能、他、航空機としての能力は殆ど全ての面でF-86Fに勝り、機体の性能差は歴然としていた。
しかしMiG-17がN-37 37mm機関砲1門、NR-23 23mm機関砲2門とマシンガンを主体とした武装が施されたのに対し、F-86Fは固定武装のブローニングM2 12.7mm機関銃6門と、一部の機にはAIM-9Bサイドワインダー(当時GAR-8)空対空ミサイルが搭載されていた。当時のAIM-9は後方のみからしか攻撃を行う事が出来なかったが、それでも機関銃に比べ圧倒的に射角が広く、重要な武装であった。
この日の空中戦に於いて、国民党軍のF-86Fは1機の被撃墜、1機の大破損傷の損害を受けたが、対してMiG-17を11機撃墜するという大戦果を挙げた。キルレシオは11:2、サイドワインダーの命中率は60%以上であった。

以上が史上初の空対空ミサイルを使用した空中戦の概要である。
現在では、やや過剰な数値ではないかとされている金門馬祖上空戦であるが、将来は空対空ミサイルの時代になるという事に異論を挟む余地は無かった。

【ミサイル戦闘機から戦闘爆撃機へ】

アメリカ空軍では将来、きたるべきミサイルの時代に対応すべく、多くの高速戦闘機が就役していた。世界初の超音速戦闘機ノースアメリカンF-100スーパーセイバー、超音速迎撃戦闘機コンベアF-102デルタダガー、世界初のマッハ2級戦闘機F-104スターファイター、核搭載高速爆撃機F-105サンダーチーフ、マッハ2級の迎撃機F-106デルタダート...等であり、大型化・重々量化し旋回性能等運動性能は旧来の戦闘機に比較し大きく劣るが、速度性能は一気に倍増した。また、運動性能などミサイル攻撃前提であらば必要ないように思われていた。
こうした戦闘機が就役する最中に勃発したのが金門馬祖上空戦である。最早ミサイル万能時代の到来は間近に思われた。


この趨勢はとどめることなく続いた。次の空軍の戦闘機はF-110スペクターであり、後にF-4CファントムIIと改称されたこの機はさらに大型化し、機関砲こそ装備していないが射程が長い目視外空対空ミサイルAIM-7スパローを装備し、爆撃コンピューターを搭載し、最大でMk82 500ポンド爆弾を18発も搭載できるという高い爆撃機としての能力をも持つまさに万能の最強戦闘機であった。上の写真のF-4CはMk82を4発搭載しつつAIM-7を2基装備している。
最新の可変後退翼を持つF-111アードバーク(アードバークが正式名称となったのは90年代である)は、空軍・海軍・海兵隊共通の次期戦術戦闘機(TFX)として開発された機で、巨大であったファントムIIよりもさらに3m近く全長が長く、運用重量は30t以上、最大離陸重量は40tを遥かに超える最大の戦闘爆撃機である。
アメリカ空軍の配備する戦闘機は核爆弾を搭載し飛来するソビエトの爆撃機に超音速でミサイルを発射し帰還する迎撃戦闘機と、超音速で爆弾(核)を搭載し地上攻撃を行い、場合によっては迎撃戦闘機と同等の任務を負う戦闘爆撃機に二分化され、大量報復を機軸とした戦略の中において戦闘機対戦闘機の格闘戦闘という概念は次第に忘れられつつあった。

【FXは可変翼27トン戦闘爆撃機】

1964年。未だ新型のF-111の生産すら始まっていなかったが、F-111は空軍・海軍・海兵隊三軍共通戦闘機であったが、三軍の互いの主張が交錯し機体はどんどん肥大化・高コストと化し、いくら戦闘爆撃機全盛の時代とはいえ、F-111は戦闘機と呼ぶにはあまりにも加速力、上昇力などの飛行特性が悪すぎ、許容できるものではなく、高い代償を払った失敗作に終わる事は誰でも予見できていた。
F-111に代わる戦闘機の開発の必要性が叫ばれ、1965年末次期戦闘機FX計画が始まった。F-15イーグルの誕生のきっかけである。
翌66年初頭にはFX研究による基本設計の概要が纏められた。
研究が進み、FXの具体的なイメージが確立するとF-111と全く変わらなかった。F-111の失敗を見越し開発研究が始まったにも関わらず、その研究結果はまさに「シェイプアップされたF-111」そのものであった。ミサイル万能思想の全盛期で、可変後退翼が過大評価されていた当時としては無難な設計であったがF-111の轍を再び繰り返す事は明らかであった。
FXの素案は白紙に戻され、再び一からFXの研究が進められた。

【ミサイル万能思想の終焉】

当時(現在でもだが)インド及びパキスタン間の国境付近は未確定領域であり、小競り合い規模の戦闘は日常的に起きていた。1965年に両国で大規模な紛争が勃発した。第二次インドパキスタン戦争(カシミール紛争)である。
インド空軍はイギリス製のフォーランドナット、ホーカーハンター、デハビラントバンパイア、フランス製のダッソーウーラガン、ダッソーミステール、そして最新鋭のミコヤンMiG-21を装備し、パキスタン空軍はF-86Fを主力とし最新機F-104を装備していた。
この航空戦における空対空ミサイル搭載機はF-86Fのみであった(サイドワインダー)。
結果は両国の損害発表比ベースで8:15と、空対空ミサイルを装備するパキスタンが優勢であったものの、サイドワインダーの命中率はおよそ30%(パキスタン側発表数)と、金門馬祖上空戦に比較し圧倒的に低い。しかもそのうちいくつかは機動の鈍い攻撃機に対してであり、戦闘機に対しては殆ど命中していなかった。

ほぼ同時期、1964年頃からはアメリカのベトナムへの介入が始まり、66年頃には一気にエスカレートしていった。
65年7月10日には空軍のファントムとしてはF-4Cが初めて戦闘機の撃墜(MiG-17)を記録したが、ベトナム戦争初期には目標を目視で確認する以前での発射を“政治的諸事情”で禁じられていた。主力のF-4は本来目視外射程での戦闘を前提とした戦闘機であり、搭載するミサイルも長い射程を持つのに、なんとも馬鹿げた話である(敵味方を正確に識別する等理由もあったのだが)。
よって1960年代のベトナムの空では中射程のAIM-7スパローを非理想的な環境下で発射するしかなかった。当然命中は殆ど期待できず、多くのAIM-7が命中する事無くタイムアウトで自爆していった。頼みの綱はAIM-9サイドワインダーであったが、そのサイドワインダーも標準で僅かに2発、最大で4発しか搭載できず、撃ち尽くしてしまえば丸腰になってしまった。F-4Cには機関砲を搭載していなかったのだ。
ミサイル万能時代の超音速戦闘機であるはずが、ミサイルの運用を制限され、ミサイルの理想的発射条件を満たす事が困難であったことから、真のミサイル万能の時代には程遠い幻想的な状況であることが認識された。ましてや想定されていた超音速以上での交戦など殆ど無いに等しかった。
現代では常識レベルのお話であり、一線級のパイロットの間では実はとっくの昔から認識されていたが、超音速戦闘機とミサイル万能思想は当時の常識であり「時代の流れ」が悪かった。

1960年代中ごろのカシミールやベトナムでの航空戦を総括するならば、大量報復戦略で通常戦は戦えない、そしてミサイルの性能は期待以下。である。この航空戦で明らかになったミサイル万能思想と大量報復戦略の結末はFX計画にも大きな影響を与える事となる。

※以下余談
後にF-4ファントムもガンポッドの搭載、最新型のF-4Eからは20mmバルカン砲を標準搭載、操縦士への格闘戦闘の再教育を施すなど目視内戦闘能力の向上が行われている。F-4ファントムは近年の戦闘機に比べれば確かに鈍重であったが、強力な双発エンジンを最大限に利用したエネルギー戦闘に持ち込むことにより、接近戦で軽快なミグを相手にしても優位に戦闘を進める事が出来た。そもそもソビエト流の訓練を受けた北ベトナムのミグのパイロットにもまともな格闘戦訓練が施されていなかったのだ。
1970年代、ラインバッカーI/II作戦などベトナム戦も後期に入ると、目視外射程での戦闘禁止が解除され、より強力なAIM-7Eの登場により、スパローによる撃墜数は桁違いに増えている。
アメリカ軍撤退まで空軍のファントムが発射したサイドワインダーによる撃墜は37機にも達するが、スパローでは、それを上回る44機のミグを撃墜している(米軍発表戦果)。
初期には軽快なミグにいくらか苦戦したむきもあり、スパローも信頼のおけるものではなかったが、ファントムは目視外戦闘においては完全に圧倒し(ミグはまともなレーダーを搭載していない)、目視内戦闘においても多くの戦闘で勝利を得た。F-4ファントムは文句なしにベトナム戦を通じて最高のミグキラーであった。

【FXは格闘戦戦闘機】

余談や背景説明が長くなったが、要約すれば「大量報復戦略に基づくミサイル万能」は幻想でしかなかったと言う事である。
ベトナムに介入する以前の1960年頃の比較的早い段階からミサイル万能論は誤りである。戦闘機は格闘戦闘を行う能力が必須であると説いたグループがペンタゴン内にあった。
目視外におけるミサイル戦闘こそが戦闘機の最もたるところであるという考え方が主流であった時代からしてみれば、最悪鉄屑のような戦闘機(つまり中射程ミサイルが発射できない)に成りかねないようなことを主張しているものだから、異端児扱いである。表立っての活動は殆ど行われなかった。
その様相から、裏で活動するマフィア― すなわち戦闘機マフィアと呼ばれるようになった。
1968年10月。ベトナムの戦訓でミサイル万能論が揺らぐ中、戦闘機マフィアの中心人物の一人Jon Boid少佐(ジョン・ボイド。後に大佐)にFX研究の監査を行うよう命令が下った。ボイド少佐は自身数千時間の飛行経験を持ち、かつ戦闘機操縦の教官であり、航空力学の学者でもあった。

ボイド少佐は27トン可変翼万能戦闘機を捨て、新たに18トン級の格闘戦闘の出来る空対空専用戦闘機の方針を新たに打ち出し、FXの贅肉の殺ぎ落としにかかった。
対戦闘機戦における格闘戦闘で勝利するには、当たり前であるが急激な旋回を行わなければならない。しかし急旋回を行うとGの抗力により戦闘機が持つ速度は失われ、舵の効きは鈍り、旋回率は徐々に緩慢になってしまう。その速度を回復するためには降下して高度を速度に変換する必要がある。
速度と高度の総和を空戦のエネルギーと呼び、格闘戦闘中は相手機の後方に遷移するべく常に空戦エネルギーを減少させながら機動を行わなければならず、急旋回と空戦エネルギーの維持は両立不可能である。空戦エネルギーを消耗しきった側は急旋回を行う事が出来なくなってしまうため、原則的に敗北を喫してしまう。ならば、格闘戦闘における最強機の定義は「急旋回が可能」かつ「エネルギーの消耗が小さい」という二つの要素を高めた戦闘機である事になる。
当時、ベトナムで予想外のキルレシオ低下を目の当たりにしていたペンタゴン内部において、通常戦における空中戦で敗北しない戦闘機の理論と必要性は、次第に戦闘爆撃機という当時の常識を覆す方向に向かいつつあった。しかし「急旋回」と「空戦エネルギーの維持」は互いに相反する。 それを実現するには如何するべきか? FX研究は、ようやく1つ方向性が定められた。

「格闘戦闘機」構想のもと、最初に切り捨てられた「贅肉」が可変後退翼である。
1960年代は可変後退翼が世界の常識であり、アメリカならば前述のF-111アードバーク、空軍FXにやや先行して計画が進んでいたF-14トムキャット、ソビエトのSu-17フィッター、MiG-23フロッガー、計画中であった欧州のパナビアトーネード等、今後の戦闘機は全て可変後退翼になるかのごとく世界中で大流行していた。しかし、ボイド少佐は可変後退翼に懐疑的であり、比較検討の結果、通常格闘戦闘が行われる亜音速域では固定後退翼に比べ重量など機構上のデメリットが大きすぎ、エネルギーの損失が極めて大であると結論付けられた。また、急旋回を行うには低い翼面過重を必要とする。主翼を大きく出来ない可変後退翼ではその点においても不利であり、FXの主翼は広い面積をもつ固定翼である事が決まった。そして急旋回でもエネルギーの損失を防ぐ強力なエンジンが必要となった。
また、機体性能などに比べると一見地味であるがF-86以来のバブルキャノピーの復活も重要な要素の一つとされた。空中戦においてエネルギーの管理以上に重要なことは相手を先に発見する事である。先手を取れば相手が先に攻撃してくる可能性はなくなるし、仮にこちらが攻撃を仕掛ける以前に発見されても相手には防御を強いる事が出来る。当初は丁度このころSR-71と熾烈な速度記録樹立競争を争っていたソビエトのマッハ3級最新鋭機Ye-266、後にMiG-25と判明する謎の戦闘機に対抗する必要からFXにはマッハ2.7の速度が求められており、空力的に抵抗の大きいバブルキャノピーの採用には消極的であったが、ベトナムでの戦訓から相手が高速のMiG-25であろうと、マッハ2超の音速での交戦が可能性は少ないと判断され最終的には2.5に下げられている。

勿論、今更完全なドッグファイト専用機など作るつもりは無く、目視外戦闘を行うための長視程のレーダーに、AIM-7の運用能力が求められた。

FXの概要は決定した。以上のような概要を元に要求提案書が作成され、航空機製造各社にはFXへの仕様書の提出が求められ最終的に現在のF-15の原型となったマクダネルダグラス案が採用され開発契約が結ばれた。


上図はほぼ同時期にペンタゴンの要請によりNASAラングレーフライトリサーチセンターによって作られた素案である。
F-14に似たLFAX-4は27トン級可変後退翼機の条件から発したと思われる。LFAX-4を固定翼化したようなLFAX-8は現在のイーグルとよく似ており、マクダネルダグラスもLFAX-8を大きく参考にしている。
LFAX-9はF-4ファントムとB-58を掛け合わせたような形をしているが、黎明期のジェット戦闘機のようにエンジンポッドを搭載しているのがユニークだ。LFAX-10はMiG-25の影響を大きく受けているような形状をしている。

FXの方向性決定に多大な貢献を残したボイド少佐と戦闘機マフィアであるが、彼らの格闘戦闘機思想はF-15ですらまだまだ大きく、高価になりすぎるとしていた。彼らの思想は1971年以降、LWF(Low Weight Fighter:軽量戦闘機)計画へとつながった。
戦闘機マフィアはF-16ファイティングファルコン、F/A-18ホーネットの開発にも大きく携わった。

この項からするとまるでF-14が全く駄目な戦闘機のように聞こえかねないが、F-14は従来の戦闘機に比較し格闘戦闘能力も格段に高い。しかしF-14は基本的に艦隊防空を担う迎撃戦闘機であり、ましてや困難な離着艦を行わなければならない艦載機である。
よってF-15とは根本的に違うため、一概に否定出来る物ではない。迎撃を行うための高速域での飛行特性、着艦を行うための低速での飛行特性を両立させるためには可変後退翼は極めて有利である。


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■PICTURE

f4c01.jpg - USAF
lfax.jpg - NASA